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日露戦争の頃から日本軍に好意を示した韓国民衆がかなり存在した

前回の記事で、わが国が日清戦争で勝利して清国勢力を朝鮮半島から追い出すと、今度はロシアが介入してきたのでわが国は日露戦争を戦って勝利し、ロシア勢力を朝鮮半島から排除したことを書いた。わが国は韓国を近代化させるために保護国化したのだが、その点について、アメリカやイギリスは干渉しなかったことは重要なポイントである。もしこのような大国の干渉があれば、今までと同様にこの国は強いと思った国に靡いていたことであろう。

第二次日英同盟

日露戦争中の明治38年(1905)8月12日に、わが国はイギリスとの間で第二回日英同盟協約が締結されているが、その第三条で明確にイギリスはわが国の朝鮮半島保護国化をいち早く承認した。本文中の「大不列顛國」とは、グレート・ブリテン国、すなわち英国のことである。

「第三條 日本國ハ韓國ニ於テ政事上、軍事上及經濟上ノ卓絶ナル利益ヲ有スルヲ以テ大不列顛國ハ日本國カ該利益ヲ擁護増進セムカ爲正當且必要卜認ムル指導、監理及保護ノ措置ヲ韓國ニ於テ執ルノ權利ヲ承認ス但シ該措置ハ常ニ列國ノ商工業ニ對スル機會均等主義ニ反セサルコトヲ要ス」
https://www.digital.archives.go.jp/das/image-j/M0000000000001743561

小村寿太郎

中村粲(あきら)氏の『大東亜戦争への道』によると、日露戦争後のポーツマス講和会議に参加した全権大使の小村寿太郎に対し、米大統領、英外相はこう述べたという。
「…日露戦争が日本の勝利に終わるや、もはや韓国保護化をさえぎる一物とてなかった。ポーツマス会議を終えた小村にルーズヴェルトは言った。『将来の禍根を絶滅させるには保護化あるのみ。それが韓国の安寧と東洋平和のため最良の策なるべし』と。ランズタウンの如き『英国は日本の対韓措置に異議なきのみならず、却って欣然その成就を希望する』とまで言い切った。11月、第二次日韓協約(韓国保護条約)が調印され、韓国の外交権は日本の掌握するところとなった。」(『大東亜戦争への道』p.125)

イザベラ・バード

イギリスもアメリカもこの国がわが国の保護国となることを希望した点については、このブログで何度か紹介したイザベラ・バードの『朝鮮紀行』の最後に意味深なことを書いている。
イギリスは見当がつかなくもない理由から、朝鮮情勢には積極的に関わらなくなっている。他のヨーロッパ列強はこの地域の保護になんら関心を示していない。」(講談社学術文庫『朝鮮紀行』p.571)

こういう書き方になるのは、欧米の列強はこの国に関わっても何のメリットもないと判断していたと理解するのが自然であろう。
この半島を植民地にしたところで、物を運ぶ道路も鉄道も港湾も橋もない。山は禿山で河川には堤防が無く、洪水の危機に曝されていたし。学校はわずかしかなく、しかも文人階級の子弟に漢文を教えていただけで、ほとんどの国民は読み書きができなかったのである。
植民地化の「うま味」を得るためには最初に莫大なインフラ投資を行わなければならないのだが、欧米列強がこの半島に関心を示さなかった理由はそのあたりにあったと思われる。

では、なぜこの国は前近代的で貧しい状態が長く続いたのであろうか。その理由を知るためには、この国の身分制度を理解する必要がある。次のURLに李氏朝鮮時代の支配階層の画像が沢山出ているので参考にされると良い。
http://hinode.8718.jp/photo_korea_yangban.html

李氏朝鮮時代の身分制度は、良民(両班[ヤンバン]、中人、常人)と賤民(奴婢、白丁)に分けられていて、支配階層が両班であったのだが、李氏朝鮮時代末期には相当多数が戸籍上は両班であったという。京城帝国大学の四方博教授は、1858年には大邱、慶尚道の総人口の48.6%が両班であったと発表しておられるが、支配階層がこんなに多くてはまともな国が成立するとは思えない。
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10718895994.html

実態は、納税を回避するために常民や奴婢の数字が統計上は少なめに出ていたのではと考えるのだが、両班身分の割合がかなり高かったことは、当時の記録を見ると納得せざるを得ない。イザベラ・バードは1894年から1897年にかけて、4度にわたり最末期の李氏朝鮮を訪れているが、この国の身分制度の問題点について前掲書にかなり具体的に記している。

韓国では、特権階級の両班は働いてはいけなかった。この絵でも、農民を働かせ、自分は寝そべっている姿が描かれている。
【韓国では、特権階級の両班は働いてはいけなかった。この絵でも、農民を働かせ、自分は寝そべっている姿が描かれている】

「朝鮮の災いのもとのひとつにこの両班つまり貴族という特権階級の存在があるからである。両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥とはならず、妻がこっそりよその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。両班は自分ではなにも持たない。自分のキセルすらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、おおぜいのお供をかき集められるだけかき集めて引き連れていくことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。」(同上書 p.137)

笞刑 WHIPPING PRISONER 1903年 朝鮮伝統の刑罰であり男女の区別なく行われた。
【笞刑 1903年 朝鮮伝統の刑罰であり男女の区別なく行われた】

非特権階級であり、年貢という重い負担をかけられているおびただしい数の民衆が、代価を払いもせずにその労働力を利用するばかりか、借金という名目のもとに無慈悲な取り立てを行う両班から過酷な圧迫を受けているのは疑いない。商人なり農民なりがある程度の穴あき銭を貯めたという評判がたてば、両班か官吏が借金を求めにくる。これは実質的に徴税であり、もしも断ろうものなら、その男はにせの負債をでっちあげられて投獄され、本人または身内の者が要求額を支払うまで毎日笞〈むち〉で打たれる。あるいは捕らえられ、金が用意されるまでは両班の家に食うや食わずで事実上監禁される。借金という名目で取り立てを装うとはまったくあっぱれな貴族であるが、しかし元金も利息も貸し主にはもどってこない。貴族は家や田畑を買う場合、その代価を支払わずにすませるのがごく一般的で、貴族に支払いを強制する高官などひとりもいないのである。」(同上書 p.138)

1903年 漢城(ソウル)両班の男性

朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。一般大衆は、ほんとうの意味での愛国心を欠いているとはいえ、国王を聖なる存在と考えており、国王の尊厳が損なわれていることに腹を立てていた。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはびこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈〈ばっこ〉していた。
 このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階級が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。『搾取』と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じてのならわしであり、どの職位も売買の対象となっていた。」(同上書 p.343-344)

両班

「地方行政官のなかにはこういった従者を何百人も持つ者があり、その費用は疲弊したこの国が払うのである。当時はひとつの道(ド)に44人の地方行政長官がおり、そのそれぞれに平均400人の部下がついていた。部下の仕事はもっぱら警察と税の取り立てで、その食事代だけをとてみても、ひとり月に2ドル、年に総額で39万2400ドルかかる。総勢1万7600人のこの大集団は「生活給」をもらわず、究極的に食いものにされる以外なんの権利も特典もない農民から独自に『搾取』するのである。その方法をわかりやすく説明するために、南部のある村を例にとってみる。電信柱を立てねばならなくなり、道知事は各戸に穴あき銭100枚を要求した。郡守はそれを200枚に、また郡守の雑卒が250枚に増やす。そして各戸が払った穴あき銭250枚のうち50枚を雑卒が、100枚を郡守が受け取り、知事は残りの100枚を本来この金を徴収した目的のために使うのである。こういった役得料を廃止し郡守を減給する勅令が最近発布された。徳川(トクチョン)の庁舎の荒廃ぶりと一般民の住まいの不潔さとみすぼらしさは、まさしくここにきわまれりといったところだった。」(同上書 p.423-424)

こんな連中の支配する国が豊かになるはずがないのだが、わが国はこのような国の抜本改革に当初から取り組もうとした。しかしながら、それを実行すべき官僚たちの大半は因習と慣例の両方から堕落していたために改革は困難を極め、イザベラ・バードも述べているように、「朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねば(p.563)」ならなかったのである。

わが国は朝鮮半島に人的および財政的支援を実行するだけでなく、前近代的な身分制度や慣習を次々と撤廃していったのだが、この急激な改革に旧支配層が抵抗したことは当然のことである。
では、これまで両班に搾取されていた人々や知識人は、わが国が主導した改革をどう受け止めたのであろうか。

朝鮮の悲劇

日露戦争初期に朝鮮北部を訪れたカナダの新聞記者であるF.A.マッケンジーはこう述べている。
「北部の住民たちは、ロシア人に好意を持っていなかった。ロシア人には規律と自制が欠けていたからである。彼らはとくに、しばしば起こるロシア軍兵士と韓国女性との衝突によって不和を来した。私は、戦争の初期に、主として北部地方をずっと旅行したが、その最初の数週間の間、私はどこでも、韓国の国民からは日本軍に対する友好的話題ばかりを聴かされた。労務者や農民達も友好的であった。彼らは、日本が自国の地方官僚どもの圧政をただしてくれるようにと望んでいたからである。また、上流階級の人びとの大部分、とくになにほどか外国の教育をうけたような人たちは、日本の約束を信じ、かつ従来の経験から推して、自国の遠大な改革の実施は外国の援助なしには遂行しがたいと確信しており、そのため日本に心を寄せていた。」(東洋文庫『朝鮮の悲劇』p.107~108)

李容九
李容九

日露戦争が始まった1904年の秋李容九(りようきゅう)は、アジアが団結して欧米帝国主義の侵略を阻止すべきであり、さらに日本と韓国が軍事同盟を結ぶことがロシアに対抗し韓国の富国強兵を図る方法であると主張し、一進会を設立してその会長となっている

その頃の韓国政府のスタンスはわが国に非協力的であったために、わが国が満州に兵を送り込むために計画した鉄道建設が遅れていたのだが、一進会が京城から新義州までの鉄道建設に立ち上がり、北進隊を組織して日本軍に協力したという。

1910年 日韓併合までに完成した路線
日韓併合までに完成した路線】

中村粲氏はこう解説しておられる。
ちなみに、京義鉄道敷設工事に参加した一進会員は、黄海道、平安南道、平安北道を合わせて十五万人に上った。また北鮮から満州へ軍需品をチゲ(荷物を背負う道具)で運搬するのに動員された会員は十一万五千人で、この鉄道建設隊と輸送隊を合わせると、百万会員のうち二十六、七万人が動員されたことになる。そして鉄道工事の費用は領収雇金二万六千四百十円、会員自費金額十二万二千七百四円という数字が残っており、大部分が会員の自弁であったことを窺わせる。
 戦争の危険、事故や病気、多大の出費、加えて反日的朝鮮官民による迫害など、様々の艱難辛苦を冒して日本軍に協力した一進会の捨身の行動は、自国と東亜の復興をこの一戦に賭ける深い信念と憂情あってこそ、はじめて可能だったのである。」(『大東亜戦争への道』p.124)

一進会は「日本が朝鮮侵略のために作った御用団体」などと書かれることが多いのだが、もしそれが事実であったならば、会員の自弁で鉄道建設の為に働いたりはしないと思う。
わが国がこの国のインフラ整備のための建設工事を順調に進めることができたのは、一進会の会員でなくとも親日的な韓国民が少なくなかったと理解するしかない。
もちろん反対する勢力もあった。「義兵運動」と呼ばれる反日的な活動が激しくなったのは明治40年(1907)に韓国軍隊が解散された以降だという。

中村粲氏の解説を続けよう。
「解散した軍隊が義兵に合流し、ここに義兵運動は武器と組織を得て、各地で激しい反日抗争を展開するに至った。…
 1907年から日韓併合翌年の1911年までの間に、我軍と交戦した義兵は14万人を超え、交戦回数も2850回、死亡した義兵は1万4千名以上にのぼる。…
 だが民衆のエネルギーだけでは、国家の近代化や独立が達成できるものではない。民衆のエネルギーは、正しい時期に、有力な指導者を得て、正しい方向に健全な形で結集されるのでなければ、決して民族独立の原動力にはなりえないのである。」(同上書 p.127~128)

義兵運動
【義兵】

「義兵」といっても組織化されたものではなかったようだ。F.A.マッケンジーは自ら「義兵」と接触して取材した時のことを著書に記している。

「彼が私に語ったところからすると、彼らはじっさいなんら組織されてはいないということが明らかであった。ばらばらの各一軒のいくつかが、きわめてルーズなつながりで一緒になっていたのである。各地の富裕な者が基金を提供し、それを、彼が、一人二人と散開している義兵にこっそりと渡し、彼らがそれぞれ自分のまわりに味方を集めるのであった」(前掲書 p.202)

義兵運動」の資金源は明確には書かれていないが、旧支配層から出ていたことはおおよそ見当がつく。武器は朝鮮軍の旧式のもののほかに中国製の銃があったことが前掲書に記されているが、外国の関与があった可能性がありうる。彼らはただわが国に対して抵抗しただけで、彼らが目指す国家像のようなものは見えてこない。

在朝鮮「一進会」李容九会長による日韓併合希望の電報:訳文
【「一進会」李容九会長による日韓併合希望の電報:訳文】

一方、一進会には彼らの理想を実現させようとする意思が明確にあった。
一進会が目指していたのは日韓両国民の対等な地位に基づく日韓共栄であった。一進会は1909年に伊藤博文がハルビン駅で暗殺された後、『韓日合邦を要求する声明書』を提出しているのだが、Wikipediaにそのポイントとなる部分の翻訳が出ている。

日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。…今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いたことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%80%B2%E4%BC%9A

一進会
【一進会】

このように一進会は日本に協力することで韓国の近代化を推進しようとし、日韓が対等の立場で合邦することを求めたのだが、当時の総理大臣であった李完用はこの上奏文を大韓帝国第2代皇帝に純宗にも上げずに握り潰したという。
また、この声明に対して大韓協会、西北学会などがただちに反対を表明し、伊藤博文の後を継いだ朝鮮統監の曽禰荒助は、両派の衝突が起って治安が乱れることを懸念し、一進会の集会・演説を禁止して活動を弾圧した。

一方、日本政府は二国間の国力の差を考慮すると、対等の合邦は国民の理解を得ることは難しいとの判断から一進会の請願を拒否し、その後わが国が韓国を飲み込む形で併合することとなる。

日韓併合は明治43年(1910)のことだが、韓国統監府は親日派・非親日派の政治団体の対立による治安の混乱を収拾するため、朝鮮の全ての政治結社を禁止し解散させている。一進会もこの時に解散を命じられたのだが、元会員の間には失望が広がり、その後三・一運動に身を投じる者も少なからずいたという。

わが国は、朝鮮半島を貧しくさせた身分制度を廃止し、この国の近代化のために莫大な投資をし多大な犠牲を払ってきたのだが、日露戦争後に旧支配層だけでなく一般の民衆レベルにまで反日運動が拡がって行ったことはなぜなのか。

おそらく日本側にも原因があるのだろう。F.A.マッケンジーは前掲書にこういうことも書いている。
「上流階級の人びとの大部分、とくになにほどかの外国の教育をうけたような人たちは、日本の約束を信じ、かつ従来の経験から推して、自国の遠大な改革の実施は、外国の援助なしには遂行しがたいと確信しており、そのために心を寄せていた。ところが、戦勝につぐ戦勝がつづくにつれて、日本軍の態度はしだいに懇切さを減じて行った。日本軍についてやって来た日本人商人どもはかなりの数にのぼり、彼らには軍隊のような自制心はさっぱり見られなかった。…軍隊自身もまた、しだいに、韓国民に対して横柄な態度をとるようになってきた。北方の住民たちにとっては、自分がロシア人と交際があると疑われることは、ただちに死を意味した。」(『韓国の悲劇』p.107~108)

伊藤博文

以前このブログで、伊藤博文暗殺事件のことを書いたが、伊藤の体内に残っていたのはフランス製騎馬銃の弾丸で、犯人とされた安重根が保持していた拳銃のものではなかった。安重根が使用した拳銃はロシア陸軍に納入されていたベルギーのクンフト社製のもので、普通に考えると暗殺の真犯人はロシア側にいる可能性が濃厚だ。
当時のウラジオストックには多くの韓国人が住んでおり、ロシアの特務機関の影響下にある「韓民団」という組織に参加している者がいて、安重根はその一人であったという。

その後中国やアメリカで反日運動が拡大する動きがあるが、どの国がどういう意図でその運動を広めたかについても、戦後の歴史叙述では完全にタブーにされてしまっている。
わが国の朝鮮半島統治の歴史については、このようなタブーを打ち破って世界史的視野で考えないことには、いくら議論をしても真実に辿りつくことは難しいと思うのだが、このような視点から史実に基づいて朝鮮半島の歴史が広く議論される日が来ることを祈りたい。

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【ご参考】このブログで伊藤博文暗殺事件、中国の反日運動に関してこんな記事を書いてきました。よかったら覗いてみてください。

韓国皇帝が伊藤博文を「韓国の慈父」と呼んだ経緯~~~伊藤博文暗殺その1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-233.html

伊藤博文を撃ったのは本当は誰なのか~~~伊藤博文暗殺その2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-234.html

なぜわが国は安重根を犯人とすることで幕引きをはかったのか~~伊藤博文暗殺3
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第一次大戦以降、中国の排日運動を背後から操ったのはどこの国だったのか~~その1
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米英が仕掛けた中国の排日運動はそれからどうなったのか~~中国排日その2
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中国の排日が我が国を激しく挑発するに至った経緯~~中国排日3
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中国全土に及んだ「排日」がいかに広められ、誰が利用したのか~~中国排日4
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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