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鳥取の紅葉名所・智頭町の諏訪神社と鳥取東照宮の神仏分離

毎年紅葉の季節になると、古い寺や神社を巡りたくなる。あまり有名すぎる観光地は人が多すぎて風情を感じることが少ないので避けて、なるべく古いものがそのまま残されていそうな場所を選んで旅程を立てるのだが、今年は鳥取県から日本海に向かうことにした。

最初の目的地は、鳥取県南東部にある八頭郡智頭(ちず)町。この辺りは山陰と山陽をつなぐ交通の要衝の地で、律令制下ではこの智頭には道俣駅(みちまたのうまや)が設置され、江戸時代には参勤交代の道筋にあるこの町に鳥取藩主池田公の宿泊地として本陣が置かれると、商人や旅人の宿場町(智頭宿)として非常に栄えたという。あまり繁盛したので、弘化元年(1844)には小売商人の逗留を禁止したとも伝えられている。

智頭町観光マップ

駐車場は智頭小学校(智頭町智頭320 ☏0858-75-0044)の向かいと、智頭宿特産村(智頭町智頭743)に観光客が利用できるスペースがある。

諏訪神社 鳥居

智頭町の面積の93%を山林が占めていて、この町の紅葉の名所として知られているのが諏訪神社
社伝によると弘安元年(1278)に信濃国諏訪大明神を勧請したといい、軍神・農業守護神・鎮火の神として篤く信仰され、江戸時代は藩主池田家の勅願所であった。

諏訪神社 紅葉

今年の色づきはあまりよくないのだそうだが、それでも境内の紅葉は鮮やかで見応えがあった。

諏訪神社 拝殿

上の画像は諏訪神社の拝殿でこの建物は明治37年(1904)に再建されたものである。この奥に、天保3年(1832)に再建された本殿がある。
この神社で、信州の諏訪大社の御柱祭りに倣った「柱祭り」が6年ごとの申年と寅年の4月に行われ、4本の杉が伐りだされ、町内を練り歩いたのちに宮入りして本殿の四隅に建てられるのだそうだ。
次のYouTubeで7年前の「柱祭り」で4本目の杉の木が建てられるところが記録されているが、こういう伝統行事を一度この目で見たいものである。
https://www.youtube.com/watch?v=qYMUdeb9iuc

諏訪神社から旧街道に戻ると、すぐ近くに石谷家住宅がある。

石谷家住宅 門

石谷家は古くから屋号を「塩屋」と称し、元禄時代の初め(1691)に鳥取城下から移り住み、明和9年(1772)以降は大庄屋としてこの地域の行政に携わってきたという。文政5年(1822)以降大庄屋を分家や国米家に譲り、地主経営や宿場問屋を営むようになり、明治以降は商業資本家としても町の発展に貢献してきた家だそうだ。

石谷伝四郎
【石谷伝四郎】

明治30年代に当主の石谷伝四郎が山林経営と農民金融を発展させたのち政治家としても勇躍し、大正8年(1919)以降、江戸時代の庄屋建築であったこの住宅の改築造営に着手したのだが、主屋が完成したのは伝四郎の死後の昭和3年(1928)だという。

個人の家とはいえ敷地面積が約三千坪もあるこの住宅は、平成21年(2009)に国の重要文化財に指定され、庭園も平成20年(2008)に国登録名勝に指定されている。

石谷家住宅 内部

主屋の入り口をくぐると、高さが14mもある広大な吹き抜けの空間が現れる。梁組には松の巨木が用いられていて豪壮な雰囲気が醸し出されている。土間を一段上がると囲炉裏の間がある。

石谷家住宅 新建座敷

上の画像は昭和になって改築された新建座敷だが、この屋敷のどの部屋も細部に至るまで丁寧に造りこまれている。

石谷家住宅 座敷から庭園を眺める

江戸座敷から見た庭園を撮った画像だが、個人宅でこんなに立派な庭園は滅多にお目にかかれない。

石谷家住宅 庭園

庭園だけで広さは約400坪もあり、池泉庭園の中央に流れる滝の方向に紅葉の美しい諏訪神社の社殿がある。

石谷家 薬医門

池泉庭園の奥には芝生庭園もあり、その奥には簡素な表門と対照的に立派な薬医門がある。

石谷家住宅 庭園と屋敷

この画像は庭から主屋を写した画像だが、寺院建築のような大きな瓦屋根に驚いてしまった。またこの主屋の2階には神殿があり、一部屋に拝殿が設けられている。

旧塩谷出店

この石谷家周辺には結構古い建物が残されている。手前は石谷家の分家として明治30年ごろに建てられた旧塩屋出店(国登録有形文化財)でその奥は米原邸(非公開)。塩屋出店の中庭には洋館の西河克己映画記念館があるが、この建物も国登録有形文化財に指定されているという。

下町公民館

上の画像は下町公民館で大正期に建てられたものだが、この建物も国登録文化財だ。
中央にぶら下がっているのは杉玉で、他の地域では日本酒の造り酒屋の軒先に吊るされて新酒ができたことを知らせる役割に用いられるのだが、智頭町では家々の軒先や公民館のような場所にも普通にぶら下がっているのが面白い。

その他智頭町には明治期や大正期の建物がいくつかあり、もう少し時間をかけてまわっても良かったのだが、諏訪酒造の酒を買って次の目的地の鳥取市に向かう。

鳥取市で昼食をとったのち、大雲院(鳥取市立川町4-24 ☏0857-22-5608)に向かう。
この寺は観光地としてはあまり知られていないのだが、この寺のことを調べていくと、驚くほど由緒ある寺なのである。

少しばかり寺の歴史を振り返ってみよう。
寺でいただいたリーフレットにはこう記されている。

池田光仲
【池田光仲公】

慶安3年(1650)鳥取藩主池田光仲公19歳の時、鳥取に東照宮を勧請しその祭礼を司る寺(別当寺)として当院を建立。当初は、乾向山東隆寺淳光院と称し、徳川将軍位牌安置所と藩主祈願所の役割を持っていた。
 寺領500石を有し内坊4カ寺を持つ大寺院として宗派を超えて、因州二州の頂点に立った寺であったが、神仏分離により、明治3年現在の地に移転、その後鳥取大震災によって、堂宇の崩壊より多数の仏像、古文書等が諸堂とともに失われました。

 さらに農地解放によって寺院収入の道を絶たれ、震災復興のため、境内地の縮小を余儀なくされ、現在では、仏像・仏具・将軍家位牌と仏画・古文書などに藩政時代の名残を止めています。」

少し補足しておくと、池田家は恒興、輝政時代に豊臣秀吉の重臣として活躍し、豊臣姓を賜るなど有力な豊臣系大名であったのだが、池田光仲は徳川家康の外曾孫に当たるということで改易は免れた。しかしながら、徳川家に忠節を示すと同時に藩主としての威厳を示す必要から、鳥取に家康を供養する東照宮を建立することを幕府に願い出て認められたという。
当時は神仏習合であり、この東照宮の祭祀を司り管理する別当寺として、鳥取東照宮のある樗谿(おうちだに)に大雲院が建立された経緯にあるのだが、この大雲院は藩内の最高の格式を誇る大寺院として、鳥取の観音院、覚寺の摩尼寺、三朝の三仏寺、倉吉の長谷寺などの古刹もこの寺の末寺とされていたのだそうだ。

『鳥取城下町大絵図』の東照宮と大雲院

では、大雲院は樗谿のどのあたりに建っていたのであろうか。
元禄年間に制作された『鳥取城下町大絵図』や『因幡民談記』には東照宮のすぐ近くに大雲院が描かれており、次のURLにその画像が紹介されている。上の画像は『鳥取城下町大絵図』と現在の樗谿公園の地図を対比させたものだが、樗谿公園内の梅鯉庵のある緑地一帯が昔の大雲院の境内であったことがわかる。
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1357.html

ところが明治元年(1868)の神仏分離令により樗谿にあった仏教施設の廃止と僧侶の還俗が命じられ、明治3年(1870)に大雲院は現在地(鳥取市立川町4-24)にあった末寺・霊光院に仏具等一式を引き継がれることとなり、現在に至っている。

大雲院 本堂

上の画像が大雲院本堂(かつての霊光院本堂)で、拝観をお願いして内部を案内していただいたのだが、立派な仏像ばかりが40尊近く並べられているのに驚いてしまった。
正面の阿弥陀如来像、脇侍の観音菩薩・勢至菩薩の阿弥陀三尊像はもともと霊光院にあったもので、その三方を囲うように西国三十三所観音像が安置され、また樗谿にあった大雲院の本尊である千手観音像も他の仏像と同様に並べて安置されていた。
内部撮影禁止であったので読者の皆さんに紹介できないのは残念だが、仏像ファンには是非訪れてほしいと思う寺である。次のURLに阿弥陀三尊像と一部の仏像の画像がアップされている。
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-978.html

大雲院 元三太師堂

本堂の左横に元三大師堂があり、樗谿の地にあった鳥取東照宮別当寺・大雲院のものを移築した唯一の建物とのことである。この大師堂には東照宮別当寺名残の仏像二十数体のほか、徳川将軍家の位牌や藩主家歴代の位牌などが安置されている。

徳川家康
【東照宮御神影(大雲院蔵)】

寺宝として伏見天皇宸筆『紙本金地法華経』巻二・巻四(国重文)や『東照宮御神影』ほか、東照宮別当寺として授受した古文書を所蔵するが、多くは博物館などに寄託されているようだ。

鳥取東照宮鳥居

大雲院の拝観を済ませたのち、樗谿公園の鳥取東照宮に向かう。大雲院からは車で5分程度で到着する。

鳥取東照宮 1

上の画像は随神門と呼ばれているが、昔はおそらく左右に仁王像がある仁王門であったと思われる。

鳥取東照宮 拝殿

随神門をくぐると石畳の参道が続き、その両脇には勧請当初に鳥取藩の重臣たちが献納した20基の石灯篭が等間隔に並んでいる。
参道を進むと拝殿・幣殿があり、さらに唐門、本殿がある。これらはいずれも国の重要文化財に指定されている。

鳥取東照宮 唐門 本殿

上の画像は唐門と本殿だが、他地域の東照宮のように以前は鮮やかな彩色が施され、壁面には絵が描かれていたのではないかと思いながら、よくよく見ると彩色されたあとをわずかに確認できるところがある。

いままでいくつかの『東照宮』を観光してこのブログでレポートさせていただいたが、Wikipediaの『東照宮』の解説によると、江戸時代に東照宮は全国で500以上造られたのだそうだ。しかしながら「明治維新以後の廃仏毀釈と相まって廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは約130社とされる」という。
鳥取東照宮に限らず、それぞれの地域で「東照宮」を残すことに地域の人々の大変な苦労があったと思うのだが、明治以降そのような記録を活字にすることが憚られてきたのか、今日ではほとんどお目にかかることがない。

鳥取東照宮の歴史を調べていくと、江戸時代の創建時以降は『因幡東照宮』と称されていたのだが、明治7年(1874)から『樗谿神社(おうちだにじんじゃ) 』という名前に変わっている。『鳥取東照宮』と呼ぶようになったのは平成23年(2011)というから、名前が変わってからまだ6年しか経っていないのだ。鳥居に懸かる「東照宮」と書かれた扁額が新しいのはそのためである。
因幡東照宮が樗谿神社に改称された経緯について詳しく書かれた記録を探してみたのだが、ネットでは短い文章しか見つけることができなかった。わずか2行だけだが、明治36年(1903)に出版された『因幡国史談』にはこう記されている。

「明治のはじめ、本社のほか付属の寺院みな廃止せられしか。同7年本県士族等相謀りて旧藩祖池田忠継・忠雄・光仲三卿神霊を合祀し、社号を今名に改め県社に列せしめた…」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766079/19

徳川幕府が崩壊したのち徳川家康を祭神とする東照宮などは不要と明治政府は考えたのだろうが、鳥取藩の士族たちは池田忠継・忠雄・光仲三卿神霊を合祀し「東照宮」の名を「樗谿神社」に変えることで、なんとかこの歴史的建造物を残そうとしたのであろう。短い文章ではあるが、「本県士族等相謀りて」という表現に、明治政府に抵抗した旧士族達の努力を読み取ることができる。

さらに鳥取市教育委員会の佐々木孝文氏の論文を読むと『鳥取県史料』四、明治七年四月一日条にこう書かれているという。
「旧藩祖ノ三霊ヲ県社長田神社ニ附属セシ東照宮ニ合祀シ、更ニ樗谿神社ト称シ、県社ニ列ス。……然ルニ、鳥取上町ノ内、樗谿ニアル旧藩所祭ノ東照宮ハ、即今、県社長田神社ニ附属シ、祭主・氏子モ無之、追年替廃ニ至ン。茲ニ三霊ヲ合祀シ、樗谿神社ト改称シ、自今、氏神同様永ク祭奠ヲ執行セン
https://note.mu/mastert/n/n993e91266794

当時の東照宮は近くの永田神社に付属する神社となっていて、神主も氏子もおらず、荒廃する一方であったようだ。神仏分離が強行される前は、この東照宮で『権現祭』が毎年4月と9月に盛大に行われていたのだが、祭礼の行列は行われなくなっていたようである。

明治40年権現祭
【明治40年権現祭】

この『権現祭』は鳥取県で最大規模の祭りで沿道に数万の見物人であったそうなのだが、この祭りが、明治40年(1907)に皇太子・嘉仁親王(後の大正天皇)が鳥取を行啓された際に、その祭りが復活されたようだ。

その時の記録が、角金次郎『山陰道行啓録』に出ていて、国立国会図書館デジタルコレクションで誰でも読むことができる。
鳥取にて権現祭と云へば、封建時代には因伯二州にて又無き盛典なりしとて、在りし昔を回想して感慨を催せる老人、物珍らしき若者打ちませて此の行列を見物せむと、其の沿道に押し寄ずる者幾万なるを知らす。頗る雑踏を極めたり。……其の列は約三丁に亘り器具万端流石大名仕事たるに恥ぢず頗ぶる壮観を極めたり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780760/91

これだけ盛り上がったのなら、昔のように祭りを復活させても良かったと思うのだが、その後大正期に断続的に開催された記録があるだけだという。

2017権現祭ポスター

しかしながら、ようやく平成12年(2000)になってこの祭りが再び復活されるようになった。上の画像は今年の権現祭のポスターである。

やまびこ館
【やまびこ館(鳥取市歴史博物館)】
鳥取は古いものを少なからず残していながら、古いものを活かして観光価値を高める努力が不足していたのではないだろうか。樗谿公園にあるやまびこ館(鳥取市歴史博物館)のような建物のデザインはモダンすぎて、歴史ある地域には似合わないと思うのは私ばかりではないだろう。もっと歴史的景観を守る努力をしていれば、観光地としての鳥取の魅力をもっとアピールできる可能性を感じる。

ようやく権現祭が復活し、古い伝統や文化財が脚光を浴びるようになったことは良いことだと思う。古いものは古いがゆえに尊く、古い建物や伝統を守り次の世代に承継していくことはその地域の観光価値を高めていくことに繋がるのである。
鳥取の権現祭りがこれからも末永く継続され、観光地としての鳥取市の知名度が上がっていくことを祈ってやまない。

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【ご参考】
各地の東照宮を訪れてこんな記事を書いてきました。よかったら覗いてみてください。

唐崎神社から日吉大社、日吉東照宮を訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-344.html

古代からの景勝の地であり和歌の聖地である和歌の浦近辺の歴史を訪ねて
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家康の死後の主導権争いと日光東照宮
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戊辰戦争で焼き討ちされる危機にあった日光東照宮~~日光東照宮の危機1
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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