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攘夷論者が、実行できないことがわかっていながら「攘夷」を唱え続けた理由

戊辰戦争の奥羽列藩同盟の全軍の士気を鼓舞するために、米沢藩士の雲井龍雄が起草した『討薩檄』という檄文の全文とその大意がWikipediaに紹介されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%8E%E8%96%A9%E6%AA%84

討薩檄

この有名な檄文を読み始めると、冒頭から興味深いことが書かれている。

『初め、薩賊の幕府と相軋(きし)るや、頻(しきり)に外国と和親開市するを以て其罪とし、己は専ら尊王攘夷の説を主張し、遂に之を仮て天眷(てんけん)を僥倖す。天幕の間、之が為に紛紜内訌、列藩動揺、兵乱相踵(つ)ぐ。然るに己れ朝政を専断するを得るに及んで、翻然局を変じ、百方外国に諂媚し、遂に英仏の公使をして紫宸に参朝せしむるに至る。先日は公使の江戸に入るを譏(そし)つて幕府の大罪とし、今日は公使の禁闕に上るを悦んで盛典とす。何ぞ夫れ、前後相反するや。是に因りて、之を観る。其の十有余年、尊王攘夷*を主張せし衷情は、唯幕府を傾けて、邪謀を済さんと欲するに在ること昭々知るべし。薩賊、多年譎詐万端、上は天幕を暴蔑し、下は列侯を欺罔し、内は百姓の怨嗟を致し、外は万国の笑侮を取る。其の罪、何ぞ問はざるを得んや。』
*尊王攘夷(そんのうじょうい):君主を尊び、外敵を斥けようとする思想

初め薩摩は尊王攘夷を主張し、幕府が開国したことを批判していたにもかかわらず、彼らが権力を握ると開国を是とし、英仏の公司を参朝させたりしていて、従来の主張と相反しているではないか。これまで彼らが尊王攘夷を主張してきたのは、ただ幕府を傾けて政権を奪う野望であったことを知るべきだと記されている。

下関戦争
【下関戦争】

『尊王攘夷』を唱えていた薩長が、『攘夷』の姿勢を改めた経緯について、一般的な高校教科書である『もういちど読む 山川日本史』にはこう解説されている。

「長州藩ではその(四国連合艦隊下関砲撃事件)後、高杉晋作・桂小五郎(木戸孝允)らの下級藩士が中心となって藩内の豪農や村役人らとともに手をむすんで軍事力を強め、藩論を尊攘から倒幕に転換させた。また西郷隆盛・大久保利通らの下級藩士が藩政の実権を握っていた薩摩藩も、しだいに反幕府の姿勢を強めた。両藩は薩英戦争や四国艦隊の下関砲撃で、欧米列強の実力を身をもって知り、攘夷の方針をあらため、軍事力の充実を目的としてイギリスに接近していった。」(『もういちど読む 山川日本史』p.215)

雲井龍雄
雲井龍雄

学生時代はこのような解説で納得してしまっていたのだが、攘夷が無理だと分かったのなら、幕府の行った開国を追認し協力する選択もあったはずだ。にもかかわらず、藩論がいきなり『倒幕』と変わったのは納得しがたいところである。
冒頭の『討薩檄』の中で雲井龍雄は、「其の十有余年、尊王攘夷を主張せし衷情は、唯幕府を傾けて、邪謀を済さんと欲するに在る」と述べており、「尊王攘夷」というスローガンは当初から幕府を衰退させるための謀略であったと断じているのである。

1820年代から1830年代にかけて水戸学における攘夷論が確立したのだが、これは儒学における華夷思想を素地としており、欧米諸国は卑しむべき夷狄(いてき)であるから、日本列島にその船が接近した場合、直ちに打ち払うべきだとする考えであった。
その後、国学の発展によって、わが国は神国であるというナショナリズムが次第に力を増し、勤皇思想もまた力を得ていったが、これが現実の外国勢力の脅威下で攘夷論と結びついて尊皇攘夷論が形作られたとされる。
尊王攘夷の思想が広まったのは、ペリー来航後に徳川幕府によって開港された後、安政5年(1858)に日米修好通商条約が締結される頃からのことなのだが、そもそも攘夷論者たちが声高に『攘夷』を叫んでいた背景に、どのような意図があったのだろうか。

松平春嶽
【松平春嶽】

当時の記録にはどのようなものがあるのかと探していると、蜷川新氏の『維新前後の政争と小栗上野. 続』(昭和6年刊)のなかで、松平春嶽の『逸事史補』が引用されている部分があったので、紹介しておこう。

水戸烈公齊昭公は、頗る世上に攘夷の名あって、幕府にても、水戸でも、どこでも、みな攘夷家と称せり。余偶然、公に問う。方今外国頻りに渡来せりとても、攘夷は出来ぬことと存じ候。外国交際開ければ、今の世はむつかしきと存じ候旨申し候。烈公実は私も左様に存じおり候ゆえ、鉄砲を鋳造し、舟など朝日丸を造り、往々は外国へ我が舟を遣わし、交易するよう相成るべく候。春嶽殿などは御若年ゆえ、其の景況をもご承知相成るべく候。またそれに就いてご尽力をも成され候がよろしく候。私などは老年に相成り候あいだ、攘夷は私の株ゆえ、終身相止め申さず、そのまま死迄も攘夷家にて相済候心得なりと話されたり。是にて烈公のやはり攘夷家あらざることしるべし。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179005/32
当代一の攘夷論者であった水戸斉昭も、本音では攘夷は不可能であることがわかっていたのだが、攘夷論者としての評価が高かったので死ぬまで攘夷の主張を変えなかったというのである。

では、他の攘夷論者はどうであったのか。蜷川氏の解説を引用する。文中の「三條公」「條公」は三條実美公の事である。

三條実美
三條実美

「攘夷の強硬なる主張者である三條公の如きも、必ずしも、攘夷論者でないことは太宰府国幽閉中、五卿に奉仕したる尾崎三良男の談話でも想像し得られる。
『一日、條公に申し上げた。ただこれまでは、一図に攘夷攘夷と言うておりましたが、所詮今日のようなことでは行けますまい。到底彼を知り、己を知り、然るのち交わるなり、無礼をすれば打払うなりしなければならぬ。ただ頭まで外国だから打払うということは宜しくない。また出来もしない。どうせ、此後交わらなくちゃ本統のことは出来まいと思います。交わらぬで彼の事を何も知らないで、交際をすれば、始終彼にしてやられる。此処では外国の事情を知ることが必要であると思いますが、…随分その頃は、攘夷の盛んな時でありますから、そういうことを言うことは、随分忌むのであります。水戸の藩士などは、その頃そんなことを言うたならば、すぐ頭までも破ってしまう。…ところが條公も、イヤ私もそう思っている。今これを公然と言うことは出来ぬから、貴様何か考えがあるならば、貴様の考えでやって見れ。それならば今幸い間隙でありますから、長崎に行ってきましょう。長崎へ行ったところが、何ほども事情は分かりますまいが、先ず長崎へ行き、多少西洋人と交際をしてみたならば、他日廟議の為になることは、随分あろうと思いますから、暫く御暇を願いたい。そんなら行ってこいということで、私は長崎へ行きました。昔の人は、みな攘夷攘夷と思っていたところが、三條公に於いては、その頃は最早開国でなくてはいけないということは、十分に覚して居られた。』」(吏話速記録第七十七輯)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179005/32
と、三條公も攘夷は不可能であり、これからは開国を考えるべきとの認識があったようなのだ。また、最も頑強な攘夷論者と伝えられている澤 宣嘉(さわ のぶよし)卿も、同様の考えであったという。

維新前後の政争と小栗上野 続

ならば、なぜ攘夷論者たちは、実行が不可能であることを認識していながら、攘夷論を唱え続けたのだろうか。
この問題について、蜷川氏はこう結論付けている。
要するに、行われざるを知って、幕府に攘夷を迫ったのは、攘夷を倒幕の手段に用いたるものにして、攘夷即倒幕を意味していると解して差し支えない。

 もちろん、草莽の軽輩に至っては、純正なる攘夷論をふりかざして、驀地に攘夷を断行せんと意図したるものありといえども、それさえ、多少の討幕的政略が含まれていると見ねばなるまい。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179005/33

このように蜷川氏は、実行できないことを分かっていながら繰り返し幕府に攘夷を要求することで幕府を衰退させ倒幕に導くという戦略であったとし、『討薩檄』を書いた雲井龍雄と結論はほぼ同じなのである。

西郷隆盛
西郷隆盛

薩摩藩士であった有馬藤太の回顧談をまとめた『維新史の片鱗』という書物には、慶応3年に藤太が攘夷について西郷隆盛に質問する場面があり、西郷が攘夷の目的について明確に述べているところを引用したい。

「それから西郷先生の所へ行って、攘夷の件について教えを請うと、
『ア、お前にはまだ言わなかったかね、モー言って置いた積りヂャッタが、アリャ手段というモンヂャ。尊王攘夷と言うのはネ、ただ幕府を仆(たお)す口実よ。攘夷攘夷と言うて他の者の士気を鼓舞するばかりヂャ。つまり、尊王の二字の中に討幕の精神が含まれている訳ヂや』

と言われたので、ここに初めて多年の迷夢が醒めて、攘夷と言うことは、為(せ)ぬものということが分かった。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964354/29

しかしながら、それまで攘夷論を振りかざしていた連中が徳川幕府を倒して政権を掌握すると、今度は「攘夷」を引っ込めざるを得なくなってしまう。蜷川氏は明治新政府の豹変ぶりをこう解説している。

「薩、長、土、肥、越、芸の六藩主は、朝廷に建白し、外国使臣を朝廷に出入りせしむるの要を唱えた。政治家に一貫の主義などある筈なしといった風であった。政治家は果たして、左様な軽率なものでしかるべきであろうか。今日の国民は之を如何に観るや。
 政府は明治二年二月一七日を以て、『先般外国御交際の儀、叡慮の旨仰せ出され候については、万国普遍の次第を以て、各国公使等御取扱いなされ仕り候。中略。各国公使急に参朝仰せ付けなされ候につき、此の段相達すべく仰せ出され候こと。』と全国に布告した。
 日本と外国との交際は、旧幕府の為せる通りに、引き続き行われることとなったのである。二月二十八日京都に於いて、英仏蘭三国の公司は、天皇に拝謁することになった。江戸城中に外人を入れたりしがために、攘夷党の憤激せし事は、いつ早く全く忘れ去られた。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179005/34

村山富市
【村山富市】

出来もしないことを主張し要求し続けることによって現政権の弱体化をはかる手法は、今までわが国で良く用いられてきた経緯にあるが、このようなやり方でもし政権が転がり込んできたとしても、これまで自らが主張していたことが何も実行できないことを白日のもとに曝け出すことになるだけだ。
平成6年(1994)に日本社会党の党首・村山富市氏が首相に指名されその所信表明演説で、それまでの日本社会党の政策をかなぐり捨てて、「自衛隊合憲」、「日米安保堅持」と明言し、「日米安全保障条約体制を堅持」すると発言して世間を驚かせ、翌年の参院選挙で同党の議席を大幅に減らしたことは記憶に新しい。

現実を直視せずに党利党略で不毛な議論を繰り返すような薄っぺらな政党に、国民の支持が広がる時代はもう来てほしくないと思うのは私ばかりではないだろう。国権の最高機関である国会で、国家・国民のために、国内外の諸問題について真摯で建設的な議論がなされる日が、一日も早く来ることを祈りたい。

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【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。興味のある方は覗いてみてください。

長州藩が攘夷の方針を改めた経緯
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-482.html

薩摩藩・長州藩の討幕活動に深く関わったグラバー商会のこと
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-483.html

なぜ資力の乏しい長州藩が、グラバーから最新鋭の武器を大量に入手できたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-486.html

江戸幕末におけるイギリスの対日政策と第二次長州征伐
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-487.html

薩長を支援したイギリスに対抗して江戸幕府に接近したフランス
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-488.html

フランスの指導により近代的陸軍を整えながら徳川慶喜はなぜ大政奉還したのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-489.html

大政奉還のあと討幕派はいかにして王政復古に持ち込んだのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-490.html






関連記事
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結城禮一郎「旧幕新撰組の結城無二三」(中公文庫)
発行は昭和51年。無二三(むにぞう)は、禮一郎(1878ー1939年・国民新聞三面主任)の祖父です。
無二三は甲州生まれで医術修行で江戸に出ます。生麦事件に刺激されて「外人を斬ろう」と仲間を集めていると、幕府に密告されて江戸に居られなくなります。
p.25
やむを得ず京都へ逃げて行った。けだし京都は当時勤王攘夷党の巣窟で、ここへ行ったら必ず自分らの志を遂ぐることができるだろうと思ったからである。
ところが来てみると大違い。勤王というのは畢竟幕府いじめの口実で、攘夷さえも真剣にやろうと言う者はない。たまたまあればそれは諸藩の極く末輩で、巧みに先輩浪士に扇動され、一途に「外夷討つべし」と叫んでいるばかり、肝腎の先輩連は「これを機会に幕府を倒そう、そして自分らが代わって幕府を作ろう」という野心の塊であることを発見した。正直無垢の若い心にはこれほどいやな現実暴露はなかった。それで攘夷なぞということは二の次にして、まず彼ら浪士の横暴を懲らしてやろうと思い立った。

それで、見廻組の厄介にしてもらいます。その後、新撰組に入ります。
p.31
一体近藤という男はどちらかといえば潔癖過ぎる方で、人の悪いことをするのを黙って見ていられない質(たち)でした。会津公の手に付いて京都であの通りの働きをしましたのも、本当は幕府へ忠義を尽くしたというのではなく、「勤王、勤王」と騒ぎ立てる人々が、口では立派なことを言っていながら陰ではひどいことばかりしている。第一国許から「禁裏手入れ」と称して莫大な金を取り寄せ、それを祇園や島原で湯水のごとく消費する、つまり自分らの遊びのために勤王の看板をかけている者が多かったのです。それが非常に近藤の癪に触ったものとみえます。「けしからん奴らだ、叩き斬ってしまえ」と言って端からやっつけたものです。私なぞも実はやはりそれと同じ心持ちで京都で働いてたのです。

「勤王の志士」の大方は、ゴロツキだったのでしょうねえ・・。
Re: 結城禮一郎「旧幕新撰組の結城無二三」(中公文庫)
たつやさん、貴重な情報ありがとうございます。

結城禮一郎氏の本なら読んでみたいので早速取り寄せします。電子書籍で安く買えるようです。

勤王の志士たちがひどい連中が多かったことは、雲井龍雄の『討薩檄』を読んでもよくわかります。
もちろん、全員がそういうわけではなかったのでしょうが、こういうダーティーな部分を理解しないと、なぜ錦の御旗に抗って奥羽列藩同盟が薩長と戦ったかが見えてこないですね。
なぜ、「反薩長」なのか?
お役に立てそうで、うれしいです。

表題について、私はこう考えています。
倒幕派は、しきりに謀略を使ってきたないやり方をした。これに対して、
1)武士道から来る一種の正義感で、許せなかった。
近藤の気持ちなどに表れています。
他、 榊山潤(1968)「田舎武士の目」
2)「『本当の勤王』は、むしろ我々である」という意識を持っていた。
これについて、前掲書から引用。
p.49
孝明天皇の崩御は幕府にとっての大打撃だった。同時におじい様(無二三)たちにも大打撃だった。世間では天皇が幕府に対して常に不満を抱いておられたように伝えているが、事実はその反対で、おじい様のお話によってみると、天皇は諸藩の野心家が皇室をダシに使って天下を騒がせているのを御立腹になってたそうだ。ことに岩倉具視は非常にお嫌いで、「あれはいつ何をするか分からぬ」と仰せられてたそうだ。そして会津の松平肥後守の誠忠無二なのにことごとく御信頼遊ばされ、肥後守がしばしばお暇を願い奉ったにかかわらず、いつも思し召しをもって留任ということになり、前後五年間京都で御用を勤めていた。後年会津が若松城であの華々しい籠城をしたのは単に薩長に対する意地ばかりではない、深く先帝の意を体し何か特別の御委託を受けていたからだということである(ご宸翰)。おじい様はその任務の関係上しばしば会津の邸へ行き、殿様にもじきじきお目通りしたことがあって、その都度先帝のありがたき思し召しを拝し、大いに発憤されたもので、「本当の勤王はむしろ会津だ」と堅く信じておられた。

孝明天皇のご宸翰
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jigenji/katamorikou.htm

明治維新が国民国家として成功したのは、
日清・日露を経てからじゃないでしょうか。
日露戦争には全国民が協力しましたから、日露戦争前ぐらいになりますかね?「国民国家形成の手柄」は、本当に明治政府にあったのかどうか、興味があります。
Re: なぜ、「反薩長」なのか?
たつやさん、貴重な情報を紹介いただき感謝です。

会津藩をはじめ多くの武士が「錦の御旗」を掲げた新政府軍と戦ったのですから、彼らにとっては新政府軍を許せない余程の出来事があったはずです。そのような記録はあまり残されていないとは思いますが、結城禮一郎氏の本は、参考になりそうなので読ませていただきます。

たつやさんの最後のコメントは概ね同意ですが、国会が開設されて政府が勝手なことができにくくなったということも大きな要素の一つと考えています。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
日清日露後でもそれらを主導した新政府の功績というのはおかしいとは思いません。

そもそも攘夷と開国は矛盾する概念ではないと思います。開国して力を蓄えた後に攘夷という主張もあるようです。
自分は基本的に幕府の無能愚劣さが一番悪いと思っているので、最近の行き過ぎた幕府擁護、江戸時代擁護、新政府側批判には懐疑的ですね。
勿論ここのブログがそうであると言っているわけではありません。
Re: タイトルなし
明治時代の初期には様々な問題が噴出して危ういところもありましたが、徳川幕府が継続してそれを乗り切れたかどうかは疑問です。幕府に優秀な人材はいましたが、その能力が発揮できる組織にはなっていなかったと思います。

明治政府は初期には多くの問題を抱えながらも、トータルとしてはうまく舵取りができたこともまた事実で、行き過ぎた幕府擁護論には私も懐疑的です。
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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