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東北諸藩は薩長の新政府を嫌い、別の国を作ろうとしたのではないか

前回記事で、仙台藩が慶応4年(1868)閏4月19日付の奥羽鎮撫総督府参謀世良修蔵が大山参謀に宛てた密書を入手し、世良がその書状で奥羽全体を武力制圧することを主張していることがわかり、20日に仙台藩がこの男を捕らえて斬首したことを書いた。

当日仙台藩の白石城に集まっていた奥羽列藩代表の会議(白石会議)の席上で、世良修蔵斬首の情報が入ったときの様子が、米沢藩士・宮島誠一郎の日記にこう記録されているという。
「満座人皆万才ヲ唱エ、悪逆天誅愉快々々ノ声一斉不止」(出席者全員が万歳を唱え、悪逆人に天誅を加えたことに快哉を叫ぶ声が止まなかった)

白石城姿図
【白石城姿図】

しかしながら、参謀を殺害したことによって、東北諸藩は奥羽鎮撫総督府を相手に交渉することはできなくなったことは言うまでもない。白石会議では今後は東北諸藩の総意として、太政官に直接建白することを決議し、また各藩が一致団結するための盟約書の作成にとりかかっている。

戊辰戦争

佐々木克氏の『戊辰戦争』に、5月3日に奥羽25藩で調印された『白石盟約書』の内容が紹介されている。これを読むと、それまで奥羽鎮撫使が東北諸藩にどのような酷いことをしてきたかがある程度推測できる条項があるので、いくつかを引用させていただく。

「一、 強を負うて弱を凌(しの)ぐなかれ、私を計りて利を営むなかれ、機事を漏洩するなかれ、同盟を離間するなかれ。
一、 城堡の築造、糧食の運搬は、止むを得ずといえども、漫(みだ)りに百姓をして労役し愁苦にたえざらしむるなかれ
   …
一、 無辜を殺戮するなかれ、金穀を掠奪するなかれ、凡そ事不義に渉らば厳刑を加うべき事。
右の条々違背あらば、則ち列藩衆議し、厳譴を加うべき者也。」(佐々木克『戊辰戦争』p.118-119)

翌4日には、この同盟に越後長岡藩が加盟し、6日には新発田藩等北越同盟5藩が加入して、合計31藩による奥羽越列藩同盟が成立したのだが、この同盟を終始リードしたのは仙台藩と米沢藩で、仙台藩がタカ派で米沢藩がハト派であったという。

佐々木克氏の前掲書に、閏4月20日ごろに仙台藩の玉虫左太夫、若生文十郎が起草したという行動計画書の要旨が出ているが、驚くようなことが書かれているので紹介しておこう。

「総括
(18)参謀の惨酷残暴により奥州二州が愁苦に堪えかねてこの様な運びになったことを太政官始め天下列藩へ訴え公論をきく。
(19)仏・米・魯国を引きつけ海軍や兵器の手配を整える。仏米両国への接触は会津藩が担当する。
(20)東北諸藩はもちろん、西南諸藩まで同志のものへ密使を派遣し、東西協力の策略を打ち合わせ、敵の内部を切り崩す。
(21)旧幕臣や海軍と密策をめぐらし同時蜂起の手配をする。これも会津藩の担当とする。

(22)京都・江戸両地につめている藩士を帰還させる。
(23)秋田藩に異論があるようだが米沢藩が説得する。同様に八戸藩は南部藩の江幡五郎が説得に当たる。」(同上書 p.128-129)
原文は『仙台戊辰史』に出ており、次のURLにある。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/773429/262

東北諸藩だけでなく旧幕臣や海軍や全国の同志と連携し、さらに外国の力を借りて戦うことが堂々と書かれているのだ。そして実際に外国と交渉した記録が残されているのだが、どのような交渉を行ったのだろうか。

会津・庄内両藩 資金調達でドイツに打診

上の画像は2016年9月18日付の北海道新聞の記事だが、重要な内容なので引用したい。

「戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は『戊辰戦争が長引いていれば実現していた可能性がある』とみる。
 これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったとみられていた
 その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側ではゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。
 今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。
 とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。
 書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。
 それによると『シュネル*(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ』などと書かれているという。
 幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点確保に向けた意図が読み取れる。
 当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)

*シュネル:会津藩と米沢藩の軍事顧問を務めていたヘンリー・スネルか、新潟で武器商を営んでいた弟のエドワルド・スネルだと思われる。
http://blog.goo.ne.jp/gooasagao/e/8c89179e6325546433c03b3362ad96ef

幕末の会津藩・庄内藩領

上の画像は同日の北海道新聞に掲載された北海道の地図だが、会津藩と庄内藩は北海道に結構広い領地を持っていた。もしこの地域にプロイセンの軍事拠点が出来ていたら、明治の歴史は大きく変わっていたことは確実だ。
http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/4685933.html

ビスマルク
【ビスマルク】

少し補足しておくと、当時の信書は船便であったためにプロイセンに届くのに2か月もかかる時代であった。駐日代理公使フォン・ブラントが「会津・庄内両藩から北海道などの領地売却の打診があった」として、本国に判断を仰ぐ手紙を最初に出したのは7月31日だったのだが、その手紙がビスマルクの手元に届いたのは10月初め頃と考えられる。ビスマルクは10月8日に一旦これを却下したのだが、後にゴーサインを出した。その後会津・庄内藩から蝦夷地を99年間貸与する話が出て11月12日に再びブラント公使が本国に手紙を出したが、その時点では会津藩も庄内藩も降伏していたためにプロイセンの出る幕がなかったという流れである。

このような史実は殆んど通史などには書かれていないのだが、Wikipediaに興味深い記事がある。

越後には慶応4年(1868年)3月9日に開港された新潟港があった。戊辰戦争勃発に伴い新政府は開港延期を要請したがイタリアとプロイセンは新政府の要請を無視し、両国商人は新潟港で列藩同盟へ武器の売却を始めた。このため新潟港は列藩同盟の武器の供給源となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%8A%E8%BE%B0%E6%88%A6%E4%BA%89

エドワルド・スネル
【エドワルド・スネル】

安政5年(1858)に江戸幕府が締結した日修好通商条約で、下田・箱館のほかに五港を開港することが決められたことは教科書などにも書かれているが、新潟の開港が遅れていた。
新潟港は、当初は1860年1月と定められていたが、水深不足や国内の政治情勢で開港が遅れ、公式には明治2年(1869)1月1日を開港日としているのだが、工事は前年に完了しており戊辰戦争の最中に列藩同盟はこの港で武器の購入交渉を開始していたようなのである。
列藩同盟の武器の調達に関与した人物の一人が、北海道新聞の記事に出てきた「シュネル」という人物で、兄のヘンリー・スネルは会津藩・米沢藩の軍事顧問で、弟のエドワルド・スネルは武器商人で、出身はプロイセンだったようだ。このスネル兄弟の存在が、奥羽越列藩同盟の結成の大きな要因になったことは確実である。

徳富蘇峰の『近世日本国民史 奥羽戦争篇〔第72冊〕』に、新潟港開港と列藩同盟の動きに関する記述がある。

「奥羽・越の連盟中には外交上の知識の持ち合わせある者もあり、その連盟の成立を条約各国に告げ、その公認を要め、堂々と交際せんことを期した。当時安政条約*の結果として、戊辰の春**より新潟は開港せられ、普魯西(プロイセン)領事等滞在したれば、仙台藩玉虫左太夫らの発議により、その案文を草し、5月30日各藩代表者の仙台の松井邸会議の際これを検定した。」
*安政(5カ国)条約:安政5年(1858年)に江戸幕府がアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5ヵ国それぞれと結んだ条約の総称。 その後ポルトガル(1860年)およびプロシア(1861年)とも同様の条約を結んだ。
**戊辰の春:1868年の春

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1139562/98

徳富蘇峰の前掲書に、プロイセンに宛てて列藩同盟の成立を知らせ、その公認を求めるための書状の案文が紹介されている。

「わが大日本国徳川氏累世継承の政権を、天朝に復してより、天子幼冲、万機草創、而して奸臣隙に乗じ、私意を挟み、もって朝憲をほしいままにす。これゆえにその令するところ、一に至誠惻怛の意に出づるあるなく、もっぱら残酷殺伐の威を逞しうし、もって天下諸侯を圧服す…」と新政府を非難したのち、
わが奥羽越列藩、君臣上下、其此の如きを察し、公議一定、同盟相結び、以て大義を天下に伸ばし、而して強暴の来者撃て、もって之を斥け、その去る者必ずしも追わず、もって皇国を維持し、而して天下聖明の治を待たんのみ」と各藩の態度を示し、
「…敢えて告ぐ。望むらくは領事館執事、僕輩の至衷を諒とし、之を各国諸公使に伝え、もってその他なきを明らかにせられよ。…」と述べて、列藩同盟を公認することを求めている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1139562/98

奥羽越列藩同盟旗
奥羽越列藩同盟旗】

薩長政府の非道を訴えたのは、奥羽越列藩がプロイセンとの貿易を開始するために、新政府ではなく奥羽越列藩こそが新潟港で諸国と貿易を行う正統性があることを認めさせようとしたのだろう。
彼らは、「独立」という言葉は用いていないが、奥羽越列藩が中心になって薩長の勢力を朝廷から追い出すか、東北地方から追い払うなどして、新しい「皇国」を作ろうと考えたことは間違いなさそうだ。

北白川宮能久親王
輪王寺宮公現法親王

6月16日に輪王寺宮公現法親王(のちの北白川宮能久親王)を奥羽越列藩同盟の盟主として迎えている。
Wikipediaによると「輪王寺宮は列藩会議への出席に先立ち、7月10日に全国の10万石以上の大名に対して、『動座布告文』と『輪王寺宮令旨』を発令している。この中で輪王寺宮は諸大名に対して、『幼君(明治天皇)を操る君側の奸、薩摩・長州を取り除く』ことを強く主張している。」とある。また10月18日付のニューヨークタイムズは「JAPAN: Northern Choice of a New Mikado(北部日本は新たなミカドを擁立した)」と報道したという。輪王寺宮が『東武皇帝』として即位したという話もあるようだが、詳しいことは分かっていない。
しかし「輪王寺宮が会津入りする以前の4月の段階で用語などが天皇扱いされ」ていて、「東武皇帝の閣僚名簿」としていくつかの文書が残されているようだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%BE%BD%E8%B6%8A%E5%88%97%E8%97%A9%E5%90%8C%E7%9B%9F

安政6年(1859)「新潟湊之真景」
【『新潟湊之真景』安政6年(1859)】

戊辰戦争中の新潟港の話に戻そう。
当時新潟港には、プロイセンのほかアメリカ、イギリス三国の領事が二隻の軍艦で来ていたという。各藩の全権と奥羽列藩との貿易交渉が開始されたのだが、各藩は軍需品の輸入に関心を持っていて、特に米沢藩と会津藩は武器輸入を新潟港に頼るしか方法がなかったので関心の度合いが強かったという。

プロイセン領土の拡張

幕末期以降イギリスが薩長倒幕側、フランスが幕府側について武器を供給したことは有名な話だが、徳川慶喜が大政奉還したのちフランスの対日方針が変わり、戊辰戦争の途中でフランス公使のロッシュが日本を去っていった。プロイセンのスネル兄弟は戊辰戦争の東北諸藩の動きを見て我が国で大量の武器取引ができるチャンスがあると判断し、ビスマルクも北海道の会津藩・庄内藩領を足がかりにして領土の拡張ができると考えたのだろう。

会津藩・庄内藩がプロイセンとこのような交渉をしたことを『売国奴』だと考える人が少なからずいると思うのだが、新政府に対して謹慎し恭順の意思を示していたにもかかわらず、ここまで両藩を追い詰めた薩長側にも大いに問題があったことは指摘せざるを得ない。

いずれにせよ、東北の戊辰戦争に早く決着がついたことは、わが国にとっては幸運であった。
もし戊辰戦争が長引いていたら、プロイセン(ドイツ)が北海道に軍港を作っていた可能性が高かったし、そうなっていたらわが国は日清・日露を全力で戦うことができず、今の北海道のかなりの部分が外国の領土になっていてもおかしなことではないのである。
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【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。興味のある方は覗いてみてください。

長州藩が攘夷の方針を改めた経緯
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-482.html

薩摩藩・長州藩の討幕活動に深く関わったグラバー商会のこと
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-483.html

なぜ資力の乏しい長州藩が、グラバーから最新鋭の武器を大量に入手できたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-486.html

江戸幕末におけるイギリスの対日政策と第二次長州征伐
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-487.html

薩長を支援したイギリスに対抗して江戸幕府に接近したフランス
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-488.html

フランスの指導により近代的陸軍を整えながら徳川慶喜はなぜ大政奉還したのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-489.html

大政奉還のあと討幕派はいかにして王政復古に持ち込んだのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-490.html

イギリスとフランスにとっての戊辰戦争
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-495.html





関連記事
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第二次「南北朝時代」のおそれも・・・
今般の譲位問題について、このような記事があります。
「譲位は皇室制度の根幹に関わる。旧皇室典範策定時、明治天皇は譲位を可能とするよう望んだが、初代首相だった伊藤博文は一蹴した。譲位により皇室で権力闘争が起きることを恐れたからだった。」
http://www.sankei.com/politics/news/171202/plt1712020004-n1.html

この件については、以下の記事に詳しい。
http://www.sankei.com/premium/news/161010/prm1610100022-n1.html

倒幕派の作った明治新政府は、基本的に軍事クーデター政権でした。
彼らが恐れたのは、反倒幕派が輪王寺宮などの別の天皇を担ぎ出すことだったと思われます。伊藤博文が「一蹴した」のは、こういう経験からでしょう。なにしろ当時に、皇室典範はない。
>輪王寺宮は諸大名に対して、『幼君(明治天皇)を操る君側の奸、薩摩・長州を取り除く』ことを強く主張している。

こういう見方は小御所会議で山内容堂も主張しているので、反倒幕派・反薩長派に広く行き渡った意見だったようです。
「神格化」される前の天皇を、どう見ていたかが分かりますね。健全な見方だと思います。「勝てば官軍」の明治新政府は、だからこそ廃仏毀釈して、天皇を神格化しなければならなかったんでしょうね。

さて、榊木潤の「田舎武士の目」は多くの人に見て頂きたいので、全文入力して記事にしました。
佐倉強哉の見た明治維新 (1)「田舎武士の目」の紹介にあたって
https://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/58148227.html
いずれ、ご一読を・・。
Re: 第二次「南北朝時代」のおそれも・・・
たつやさん、いつもよく読んで頂き、コメントまでいただいてありがとうございます。

ご指摘の点はその通りで、対立勢力が万世一系の天皇家を取り込めば強大な権力を持つことになるので、たつやさんの言うように「第二次『南北朝時代』」がこの時代に生まれた可能性は、東北が簡単に敗北してなければ、十分にあったことと考えます。

榊木潤氏の『歴史』は、たつやさんからの情報で私も買いましたが、近いうちに必ず読ませていただきます。
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

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