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滋賀県に残された神仏習合の景観などを楽しんで~~邇々杵神社、赤後寺他

以前このブログで、神社の境内の中に塔が残されている事例をいくつか紹介した。
奈良時代には仏教を広めるために日本古来の神道との融合策がとられ、神社に神宮寺が併設されたり、寺に鎮守社が建てられたりしたのだが、そのような神仏習合が平安時代になると仏が仮に神の姿で現れるという本地垂迹思想が広がり、神社に神の本地である仏を祀る本地堂を建てたり、神宮寺に仏教の祖である釈迦の舎利(遺骨)を祀る塔が建てられたりして、神社の境内の中に仏教施設が存在することが普通にあった。

しかしながら、明治維新期に神仏習合を否定する神仏分離令が出されて、そのために神社境内の仏教施設や仏像などはほとんど破壊されるか移されてしまったのだが、神仏分離の徹底度合いは地方により異なり、以前このブログでいくつか紹介した通り、今でも神仏習合時代を彷彿とさせる景観を残している寺社が少数ながら各地に存在する。

滋賀県の北部にいくつかそのような景観を残していそうなところがあるので以前から行きたいと思っていたのだが、長浜市に向かう旅程の中に組み入れて先日訪問してきた。

邇々杵神社 鳥居

最初に訪問したのは邇々杵(ににぎ)神社(高島市朽木宮前坊289)である。
上の画像はこの神社の鳥居で、どこにでもありそうな神社にしか見えないのだが、境内を進むと美しい多宝塔が見えてくる。

邇々杵神社 境内

『レファレンス協同データベース』にこのような解説が出ている。
「『滋賀県百科事典』によりますと、…古くは朽木(くつき)大宮権現と称し、そのまつるところを日吉大宮権現とし、市場の山神社とともに朽木谷の産土神である。新旭町井ノ口の大荒比古神社とおなじく佐々木氏の祖神をまつることから1875年(明治8)には河内社といった。その後、境内社瓊々杵尊(ににぎのみこと)、十禅師社を主殿として、今の社号にあらため、河内神社を境内社とした。『神宮寺縁起』に859年(貞観元)僧相応が葛川明王院を創立したとき、この神を勧請したという。(中略)神社の東隣りに相応を開山とする神宮寺があり、創建当時(平安時代)のものといわれる木造重層の多宝塔がある。(河原喜久男)」とあります。」
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000094462

「権現(ごんげん)」というのは日本の神の神号のひとつで、神々が仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたと考える本地垂迹思想に基づくものである。明治の初期には「権現社」「権現宮」「権現堂」の多くが廃され、「権現」の神号を用いることを一時禁止されたために、権現を祀る神社の多くは本地仏を廃して祭神(垂迹神)のみを祀るようになり、祭神の名前も記紀神話の神を比定したのである。その過程で神社の仏教施設の殆んどが失われてしまったのだが、どういうわけか朽木大宮権現では建物も仏像などもそのまま残されたようなのである。当時の村人たちにかなりの苦労があったのではないかと思うのだが、当時の記録をネットで発見することは出来なかった。

邇々杵神社 多宝塔

上の画像が邇々杵神社の多宝塔で、前掲の『レファレンス協同データベース』では平安時代のものと記されていたが、今の多宝塔は江戸時代に再建されたものであることが案内板に明記されている。
「多宝塔は、朽木神宮寺宝塔として神宮寺に属していたが、邇々杵神社の奥の院とも称し、古来から信仰厚く、宝塔内には木造釈迦如来像(藤原時代の作風を伝える鎌倉時代初期の仏像で胎内には朽木神宮寺の墨書銘がある)と二十三体の薬師如来像をまつっている。
創建は神宮寺と同じく貞観元年(859)に造営されたが、その後荒廃破損し、天保十三年(1842)五月十三日に再建したものであり、朽木村にとって貴重な文化遺産である。」

「朽木村」という村は安曇川の上・中流域にかつて存在し、京への木材の供給地として、また京都と若狭を結ぶ街道筋として栄えた歴史を持つが、平成十七年(2005)の市町村合併で高島市に編入されてしまい、「朽木村」の指定文化財であった多宝塔は、高島市の文化財に指定されているようだ。

以前はこの神社の東側に神宮寺があったのだが昭和二十六年(1951)に焼失してしまい、今では多宝塔と、火災後に建立された小堂が残されているだけである。

海津大崎

邇々杵神社をあとにして海津大崎に向かう。
ここの桜は「日本さくら名所百選」にも選定されていて、例年だと長浜曳山祭りが行われる頃にほぼ見頃を迎えるのだが、今年は満開の時期があまりにも早すぎた。ボタン桜の一部が咲いていたものの、ほとんどが散ってしまったあとだった。

海津大崎の桜は、昭和初期に滋賀県高島地方事務所の宗戸清七氏が自費で桜の若木を植え始め、その桜が咲きだすと村の青年団も協力するようになり、今の桜並木の原型が形作られたのだという。今では湖岸を走る県道557号線に約4kmにわたり約800本の桜の木が植えられていて、満開時には桜のトンネルのような状態になるというのだが、こんなに長い桜並木は見たことがないので、何年かのちの満開の頃に再チャレンジしたいところである。

大崎寺

海津大崎にある大崎寺(高島市マキノ町海津128)を訪ねる。この寺は近江西国三十三所観音霊場九番札所で、本尊の千手観世音菩薩立像はこの寺を大宝二年(702)に開基したとする泰澄の作と伝えられている。

大崎寺 阿弥陀堂

旧本堂(大崎観音堂)を修復する際に、豊臣秀吉が安土城落城の際に戦死した人々の血痕の残る城材を用いたことから、観音堂の天井は「安土の血天井」として有名であったというが、昭和四十一年(1966)の観音堂改修に際し、今度はその城材がこの阿弥陀堂に使われたという。どこに血痕があるのかよく見てもわからなかったのだが、案内板には今でも梅雨の頃になると血痕が滲みだして痕跡が現れると記されていた。

大崎寺からは、奥琵琶湖パークウェイを走って葛籠尾崎(つづらおざき)を経由して長浜に抜けるコースを選んだのだが、この道路沿いにも多くの桜が植えられている。残念ながら桜の季節は終わっていたものの、奥琵琶湖の景観は素晴らしかった。
このパークウェイは秋の紅葉も美しいことで知られており、四季折々の自然美が楽しめそうなので、また走ってみたいと思う。

奥琵琶湖

奥琵琶湖は険しい山が琵琶湖に沈みこんでいるような地形で、琵琶湖では最も水深の深いところでもあるのだが、人間の居住環境の痕跡がほとんど認められないにもかかわらず、縄文時代から平安時代後期までの数多くの土器が水深10~70mの湖底で大量に発見されている(葛籠尾崎湖底遺跡)。現在までに約140点がひきあげられたのだそうだが、その成因についてはいまだに結論が出ていないという。
http://www.pref.shiga.lg.jp/edu/sogo/kakuka/ma07/treasure_of_water/files/wot_16.pdf

長浜市に入り、予約していた赤後寺(しゃくごじ:長浜市高月町唐川1055 拝観予約090-3164-7486)に向かう。

赤後寺と日吉神社の鳥居

上の画像が赤後寺に向かう階段で鳥居の奥に見えているのが赤後寺の観音堂なのだが、仏教施設が神社の境内の中心にあるとは驚いた。
この観音堂の右に日吉神社の本殿があり、左に鐘楼がある。鳥居を潜りぬけてお寺に拝観に行くのは随分久しぶりの経験だ。

赤後寺と日吉神社

寺には住職はおられず、地元の方が交代で奉仕されて今日まで貴重な文化財が守られてきた。境内も綺麗に清掃されており、観音堂の内部もお供えがなされていて、この観音様が地元の人々にとても大切にされていることが良くわかる。
拝観は事前予約制で、当番の方から詳しく説明を受けることが出来る。

赤後寺の厨子

立派な厨子の中には平安時代初期に製作されたご本尊の木造千手観音菩薩立像と木造菩薩立像(伝聖観音立像)が安置されていて、いずれも国の重要文化財に指定されている。またご本尊は通称「コロリ観音」と呼ばれていて、災いを利に転ずる仏として親しまれてきたという。

案内の方に厨子の扉を開けていただいた。
十一面千手観音といっても42本の腕の内残っているのは12本で、手首から先は失われてしまっている。頭上にいただいていたはずの十一面も何もない。木造菩薩立像については掌だけでなくつま先も失われてしまっている。
とても痛々しいお姿ではあるのだが、凛とした包容力あふれる表情と、肉付きの良い堂々とした体躯に迫力を感じて、腕の破損が次第に気にならなくなってくる。残念ながら仏像の撮影が禁止されていたので紹介できないのだが、ネットで探すと次のURLにこの2躯の仏像の画像がでている。
http://butszo.jp/2014/03/2086/kannonnosato16/

赤後寺の創建は奈良時代の僧・行基と伝えられ、中世には神仏習合により日吉神社と一体のものとして人々の信仰を集めてきたという。
しかしながら戦国時代になって、近江は何度も戦場となり、村の人々はこの仏像をお守りするために寺から何度か運び出して、ある時は田の中に埋め、ある時は川底に隠したりしたそうだ。

赤後寺と御枕石

天正十一年(1583)に行われた豊臣秀吉と柴田勝家との戦い(賤ケ岳合戦)では寺が火災に巻き込まれたのだが、村人たちは夜間に仏像を運び出し、村に流れる赤川まで背負ったのち川底に沈め、さらに仏像が流されないように枕石を置いたという。しかしながらその際に川の増水のために仏像の宝冠や光背、手などが流されてしまったと伝えられている。境内にはその時に使われた枕石と伝わる石が置かれている。

昼食をとってから、次の目的地である安楽寺(長浜市細江町105)に向かう。この寺は特に神仏習合的な要素はないのだが、庭園などに見どころがありそうなので旅程に入れていた。

安楽寺 門

奈良時代はこの近辺は藤原不比等の荘園であったそうなのだが、この場所に安楽寺が創建されたのは弘安二年(1279)のことだという。
その後室町幕府を開いた足利尊氏より寺領三百石と長刀が寄進され、さらに二百石が加増され寺は隆盛を極め、大伽藍のほかに塔頭二ヶ寺、寺侍六軒を有する大寺院だったようだ。しかしながら元亀元年(1570)の姉川の戦いで多くの堂宇が焼失してしまい、それからしばらく荒れ地となっていたが、江戸時代になって彦根藩主が庇護し、第二代藩主井伊直孝公が龍潭寺開山萬亀和尚に命じ再建されて現在に至っている。

安楽寺 庭園

この寺の庭園は夢窓国師が作庭したと伝えられる池泉回遊式庭園で、中央の池は琵琶湖に見立てたものだという。奥様に淹れていただいたお茶を頂きながら、縁側に座って庭を鑑賞していると、時折小鳥が飛んで来て羽を休める。小鳥のさえずりを聴きながらゆっくりと時間が流れる。

仙厓禅師六曲屏風一双・山号額

本堂の脇に寺宝が収められている部屋があり、案内していただいた。海北友松の水墨画や白隠禅師の達磨画像、仙厓禅師六曲屏風一双・山号額、井伊直弼の掛け軸、足利尊氏画像など想定した以上に貴重なものがいろいろあるのに驚いた。

安楽寺の松と龍

帰り際に奥様から、「『龍』を見てください」と境内に案内されて、「このあたりからよく見えます」と言われて案内された松をよく見ると、枯れた枝が親子の龍が空を飛んでいる姿に見えるのである。
面白いのでいろんな角度からこの松を観てみたのだが、見る位置を変えると龍の姿にはならないところが面白い。

神仏習合の景観を残す竹生島に向かう船の時間調整で旅程に入れた安楽寺だったが、庭園や寺宝に見るべきものが多く、気さくな奥さんの案内で結構楽しく過ごすことが出来た。(つづく)
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【ご参考】
このブログで神仏習合の景観を残している寺や神社を幾つか訪ねてきました。よかったら覗いて見てください。

香住から但馬妙見山の紅葉と朱塗りの三重塔を訪ねて~~香住カニ旅行2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-228.html

但馬安国寺の紅葉と柏原八幡神社の神仏習合の風景などを訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-289.html

日吉神社、大垣城、南宮大社から関ヶ原古戦場に向かう
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-338.html

播磨の国宝寺院の神仏習合の景観を楽しんで~~朝光寺・浄土寺
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-357.html

日本百名城の一つである小諸城址から龍岡城跡、新海三社神社を訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-401.html

白馬落倉高原の風切地蔵、若一王子神社、国宝・仁科神明宮などを訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-404.html

東大寺二月堂に向け毎年「お水送り」神事を行う若狭神宮寺を訪ねて~~若狭カニ旅行1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-217.html

新緑の書写山・円教寺と、その「奥の院」と呼ばれる弥勒寺に残された神仏習合の世界
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-452.html









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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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