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関東軍が「暴走」したと描かれる背景を考える

前回の記事で、ソ連の赤化工作がかなりわが国の軍部に浸透していたいたことを書いた。
昭和3年(1928)の張作霖爆殺事件は、わが国の教科書などでは関東軍の河本大作が計画を立案した主謀者であることが記されているのだが、現場の写真を見ても河本大佐らが爆薬を仕掛けたとする京奉線の線路には爆発した形跡はなく、特別列車の台車部分は原形をとどめているのに天井部分が大きく破損している。河本大佐の自白内容が作り話であることは明らかで、最近の研究によるとソ連の機密文書にはソ連が実行し日本人の仕業に見せかけたものだと書かれており、イギリスの外交文書においてもソ連に犯罪の責任があると記されているのだそうだ。もしそれが正しいとすると、河本らはソ連の犯罪を隠蔽するためにソ連に協力したということになるのである。

事件直後の柳条湖の爆破現場
【事件直後の柳条湖の爆破現場】

そしてこの事件の3年後に満州事変のきっかけとなった柳条湖事件が起こっている。
一般的な教科書である『もういちど読む 山川日本史』では、このように解説されている

「1930年代にはいって、協調外交がゆきづまり、中国の反日民族運動が激しくなって、満州における日本の権益がまもれないのではないかとの危機感が高まると、陸軍のあいだには、軍事力を用いてでもこれを打ち破ろうとする機運が高まった。
 1931(昭和6)年9月18日、武力による満州の制圧をくわだてた日本の関東軍は、奉天近郊の南満州鉄道の線路をみずから爆破し(柳条湖事件)、戦争のきっかけをつくって奉天付近の中国軍への攻撃を開始した。こうして満州事変がはじまった
 第2次若槻内閣は『事変の不拡大』を内外に声明したが、関東軍はこれを無視して軍事行動を拡大した。
 かねてから『満蒙の危機』を国民に強く訴えていた多くの有力新聞は、満州事変がおこるといっせいに日本軍の行動をたたえる記事や写真で紙面を埋め尽くした。このようなジャーナリズムの活動をつうじて、満州事変における軍事行動を全面的に支持する熱狂的な世論がつくりだされた。若槻内閣の不拡大方針は失敗し、軍部を抑えることができないまま、1931(昭和6)年12月、内閣総辞職に追い込まれた。
 こうして日本軍は半年ほどで満州の主要地域を占領し、1932 (昭和7) 年3月、清朝最後の皇帝だった溥儀を執政に迎えて、満州国の建国が宣言された。しかし、軍事・外交はもとより、内政実権も関東軍や日本人官吏がにぎっており、満州国は日本が事実上支配するものとなった。」(『もういちど読む 山川日本史』p.296-297)

花谷正
【花谷 正】

ところが当時の日本の記録では、南満州鉄道の線路を爆破したのは中国側によるものとされ、その後日本軍が中国軍から攻撃を受けたことになっており、その点については東京裁判でも問題にされなかったという。
この説が覆ったのは昭和30年に発行された雑誌『別冊 知性』の12月号に元関東軍参謀の花谷正の名前で「満州事変はこうして計画された」という記事が掲載されたことによるのだが、次のURLにこの全文が掲載されている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/t_tajima/nenpyo-5/ad1931b.htm

実はこの文章は関東軍参謀の花谷正本人が書いたものではなく、当時23歳の東大生であった秦郁彦が花谷に取材し、自分の名前を伏して花谷正の手記として発表されたものなのである。そして関東軍がやったとする根拠資料はこの文章しか存在しないのだが、秦郁彦が花谷という人物に取材した内容を忠実に書き起こしたものであるのかどうかはわからない。もし花谷の証言を正確に文章化したものであったとしても、そもそもこの人物の証言が信用するに値するものであろうか。ネットで花谷正について調べるとずいぶん酷い人物であったことばかりが書かれているのだが、例えばWikipediaの解説では、
能力ばかりか人格面においても極めて問題のある人物で、第55師団長時代は部下の将校を殴り、自決を強要することで悪評が高かった。また、日頃から陸大卒のキャリアを鼻にかけ、無天(陸大非卒業者)や専科あがりの将校を執拗にいじめ抜き、上は少将から下は兵卒まで自殺者や精神疾患を起こした者を多数出すなどしたため、部下から強い侮蔑と憎悪を買っていた。反面小心でもあり、行軍中も小休止の度に自分専用の防空壕を掘らせていた。」とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E8%B0%B7%E6%AD%A3

秦郁彦はこんな問題人物のために自らがゴーストライターになって記事を書いたことになるのだが、『別冊 知性』に掲載された記事の冒頭には箔づけのためかこんな文章が付け加えられている。

当時の関東軍関係者が、満洲事変は関東軍の謀略に基づくもであったことを認めた唯一の証言。
 本庄繁、板垣征四郎、石原莞爾は、満洲事変は『自衛』であったとして、関東軍による謀略を否定しており、花谷以外の関東軍関係者で、満洲事変は関東軍の謀略に基づくものであったことを認めた者はいない
。」

この雑誌が出た時点では板垣征四郎(明治18~昭和23年)、石原莞爾(明治22~昭和24年)らは物故しており、このタイミングで『満洲事変は関東軍の謀略に基づくもであったことを認めた唯一の証言』などと言っても何の説得力もないのだが、なぜかこの花谷証言とされた文章が根拠とされて、「満州事変は関東軍の謀略である」ということがその後昭和史の通説になったことに違和感を覚えるのは私ばかりではないだろう。

しかも秦郁彦は戦後のわが国に自虐史観を広めた人物の一人である。自虐史観を広めたい立場からすれば、満州事変の原因がわが国の侵略行為であったことが好都合であることは少し考えれば誰でもわかることである。秦氏は、関東軍が暴走したストーリーを花谷参謀の言葉として描くことにより、自虐史観をわが国や世界に拡散しようとする意図があったのではなかったか。

とは言いながら、板垣征四郎、石原莞爾らが、柳条湖事件の前から綿密な軍事作戦を練り上げていたことは間違いがないことである。では、何のためにそのような作戦が必要であったのか。また、なぜ国民がそのような軍部の行動を支持したかについては、当時の新聞の記事を読めばその背景が理解できる。

自虐史観の立場に立つ論文にはほとんど何も書かれていないのだが、当時の満州は、各地で反日運動が仕掛けられて暴動が相次いで起こり、日本人居留民の安全が脅かされていた。
いつものように『神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ新聞記事文庫』の検索機能を用いていくつかの記事を拾ってみよう。

昭和6年6月27日 京城日報 間島一帯に亘る未曾有の暴動事件

上の画像は昭和6年(1931)6月27日の京城日報の記事で、文中の「間島(かんとう)」というのは豆満江以北の満州にある朝鮮民族居住地である。この地域は抗日パルチザン*の根拠地となっていたのだが、この記事は昭和5年(1930)5月に間島で未曽有の大暴動(間島共産党暴動)が起きた事件の予審について書かれており、その暴動が起こる2か月前にコミンテルンが中国共産党に対し満州の暴動を起こす指令を間島の潜在党員に出させたことに注目しておこう。
*パルチザン:抵抗運動・内線・革命運動といった非正規の軍事活動を行う遊撃隊

間島

北間島一帯にわたり共産党員の極度のテロ化の暴状事実は近来極左系の暴動としてはまさに後世まで記録すべきほどの未曾有の実際運動であったが、そもそもその暴動の起りはどうして起ったか?それには憎むべき国際共産党コンミンテルンの恐ろしい施令と度しがたき小児病者的主義者の附和雷同とが狂想二重奏をかなでたのである。間島暴動事件の二ヶ月半以前の四月初旬、国際共産党コンミンテルンでは満洲方面における運動方法の微温的であるのに業を煮やし、一挙に極端なテロリズムを以て戦うべしとの意見が一致し、中国共産党に向って全満洲に暴動を起こすべし』との重大な指令を飛ばせた中国共産党では朝鮮人の頭株である朴允瑞らを入れてこの指令につき緊急会議を開いた結果、広大な地域の満洲に暴動を起すより充分可能性があり警備力の薄弱な北間島部分的に行った方が策を得たものとなし、直ちに間島潜在党員に対して再び指令を飛ばせたものである。」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10070834&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

この間島共産党暴動の際に治安を守るべき中国側官憲も軍隊も動かず、傍観したままだったという。この地域でその後の半年間に200件を超える暴動が起こり、百名以上の死傷者が出たそうだ。

昭和6年 6月6日 大阪毎日新聞 満州の日支紛争今や到る所で勃発

上の画像は昭和6年6月6日の大阪毎日新聞の記事で中国が満州の各地で紛争を起こしていることを伝えているが、おそらくこれらもコミンテルンの工作と無関係ではなかったであろう。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10159971&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

間島共産党暴動のあと、一般の朝鮮人は間島の住処を追われわが国の保護のもとに満州の別の地域に入植を斡旋されたのだが、万宝山に入植中の朝鮮人が灌漑水路を作り種まきを始めたころ、突然中国公安局が来て退去を命じ、五月末には朝鮮人農民90名を留置場に叩き込んだという。その後6月下旬から中国農民によって用水路が徹底的に破壊され、ついに7月に入って激昂した朝鮮人と中国人との間で流血の惨事となった。

この万宝山事件をきっかけに朝鮮半島では中国人への感情が悪化して中国人排斥運動が起こり、多くの死傷者が出たという。下の画像は平壌で中国人が襲撃された事件後の現場写真だが、すさまじい破壊がなされていたことに驚かざるを得ない。

中国人襲撃事件 1931年平壌

関東軍参謀の石原莞爾は『満蒙問題私見』という意見書を5月に作成しており、ネットで全文が出ている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/t_tajima/nenpyo-5/ad1931b.htm

この意見書を拾い読みすると、満蒙問題の解決の方法については「唯一の方策は之を我が領土となすにあり」とし、そのために必要なことは、「①満蒙をわが領土となすことは正義なること、②わが国はこれを決行する実力を有すること」の二点を挙げ、満蒙問題を解決することで「朝鮮の統治は満蒙をわが勢力下に置くことにより初めて安定すべし」と書いている。
さらに当時の中国は治安が乱れており、「在満三千万民衆の共同の敵たる軍閥官僚を打倒するは、わが日本国民に与えられたる使命なり」とし、どのようなタイミングで軍事活動を実施するについては、「謀略により機会を作製し軍部主動となり国家を強引すること必ずしも困難にあらず、もしまた好機来るに於ては関東軍の主動的行動に依り回天の偉業をなし得る望み絶無と称し難し」と書いている。

石原莞爾
【石原莞爾】

石原莞爾は謀略による戦争開始の可能性を否定していないのだが、この頃の新聞を読めば暴動が何度も起こっており、石原の言うところの「我が国が軍事行動を起こすことの正義」が認められる「好機」はいくらでも存在していたこともまた事実なのである。

昭和6年8月19日 中村大尉虐殺から参謀本部硬化す

たまたま6月27日に中国官憲のパスポートを携行して旅行していた中村震太郎大尉と井杉元曹長らが行方不明となった。この二人はのちに興安屯懇団に逮捕されて射殺されて、さらに目を抉り耳をそいで焼き捨てられていたことが判明している。
また9月に入ると満州各地で馬賊による殺害事件や強盗事件が相次ぎ、関東軍は馬賊の根拠地にも出動する自力警備を始めたのだが、そんな時期に柳条湖事件が起こっているのだ。

関東軍の自作自演説に対する基本的な疑問だが、日本人が多数乗車している列車を爆破して大きな人的被害が出たらどういうことになっていたであろうか。そうなれば関東軍は現場作業に追われて軍事作戦どころではなかったであろう。もし関東軍の関与が少しでも疑われたら、取り返しのつかないことになってしまうことは誰でもわかる。普通に考えれば、関東軍がこんなリスクの高いことは実行することは考えにくく、軍事行動を起こすきっかけとなるような事件は頻発していたのである。満州事変の引き金となった小規模な爆破事件は、外国勢力が起こしたと考えるほうが正しいのではないだろうか。

昭和6年10月7日 満州日報 南京政府の満洲事変対策

10月7日付の満州日報で満州事変に関して興味深い記事が出ている。この記事を読むと、蒋介石は柳条湖事件を日本軍の仕業と見せかけようとしていた可能性を感じざるを得ない。

蒋氏は事件の報告を聴取した後憤怒に燃え北に向って、あの小僧がヘマをやるから斯様な面倒を惹起したのだと張学良氏を罵倒したそうだ
 ロシアの力を借りて今日の地歩を築き上げた国民党及びその政府はその味が忘れられず、満洲事件に対しても同一の筆法で進めば少くともパリ会議やワシントン会議程度には効果のあるものと楽観し御用紙でない新聞までがこの気分で筆を執って居た。その方針は直に上海において実行に着手され一部の外字新聞は日本非難の記事や論文を掲ぐるに至り又外人記者中には南京政府の支給した旅費で満洲視察に出かける者も出て来た。そればかりではなく同じ方法で日本に不利な新聞電報が上海、北平天津その他から欧米に飛ばされた勿論ジュネーヴの施肇基氏には外交部から長文の訓電が発せられ国際連盟の力を借るべく命ぜられた外人記者を通じての宣伝は金力に正比例してそれ相当の成績を挙げているが、国際連盟では支那側の報告に欺瞞が混じていたことが判明したとかで不人気を買い、通り一遍の平和勧告を試みたに過ぎず何等干渉がましき行動を取らないこととなったものらしい。
 国際連盟の態度が南京に報告さるるや首脳部は大に狼狽し蒋介石氏は慟哭せんばかりに落胆したと或る確な筋から漏らされた。そればかりでなく米国も余り力瘤を入れて呉れそうにない事を知り今は二重の失望に悶えて最後の手段として次の二つに力を注ぐ事になった


一、従来の対外宣伝を続行し更に多額の経費を投じて空気の転換を図ること
二、ロシアに交換条件を提言して干渉せしむること」

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10161022&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

蒋介石は世界の世論を日本非難に向けるために多額の工作資金を投入してきたのだが、国連の協力を得ることが出来なかったことに落胆し、世論工作に失敗した張学良を蒋介石が罵倒したというのである。
張作霖爆殺の時は、ソ連はうまく日本軍の犯行であるようにみせかけることに成功したのだが、柳条湖では中国は失敗したということではなかったか。

ところが、戦後になって自虐史観を奉じるわが国の「歴史学者」が関東軍が爆破したことに書き換えてしまい、今日の通説では戦争の原因を作ったのは関東軍ということになっているのだが、歴史の叙述に於いてわが国を戦争に巻き込もうとさんざん挑発した側の史実を全く書かないのは大いにバランスを欠いていると言わざるを得ない。

昭和6年9月18日 満州日報 牛蘭事件の審問

柳条湖事件の起きた日の満州日報の記事に、コミンテルン(第三インター)の命を受けて東洋攪乱に携わってきた牛蘭(ヌーラン)という人物が上海で捕らえられ、六百余の秘密文書が押収されたことが伝えられている。中国に関する文書の解読が進み、この記事によると牛蘭がいた組織は国民政府の軍隊内に共産党の細胞を植え付けてその戦力を弱める工作をし、中華民国の国民を赤化し社会組織を破壊するほか、我が国や朝鮮、インドの労働者煽動や共産党の組織宣伝などに従事し、そのために毎月13万元を使っていたという。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10071151&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA


獄中のヌーラン
【獄中のヌーラン】

このようなコミンテルンによる社会破壊工作が我が国においても例外でなかったことは明らかなのだが、このような史実が戦後のわが国の歴史叙述からは完全に抜け落ちてしまっているのはなぜなのか。

その理由は少し考えれば見当がつく。これまではすべての戦勝国にとって都合の良い歴史観、すなわちわが国だけが悪者になる歴史観(「自虐史観」)が広められたのだが、コミンテルンや共産主義者による社会破壊工作の史実が歴史叙述に加えられると、いままでわが国に広められていた「自虐史観」が説得力を失うことになることは確実だ。そして「自虐史観」代わって共産国や左寄りの人々にとって都合の悪い歴史叙述に置き換わることとなっていくことだろう。
そうさせないために、わが国では教育界やマスコミ界などに左巻きの人々が多数派を占めて「自虐史観」でわが国民を洗脳し、異論を唱えることも許されない時代が長く続いてきたのだが、最近では大手マスコミが明らかなフェイクニュースを連発するおかげでマスコミに対する国民の信頼が大きく失われて、これまでマスコミが伝えてきた「我が国だけが悪かった」とする歴史叙述にも疑問を懐く国民が増加している傾向にある。

事実に基づいた歴史の見直しが進められその成果が広く伝えられて、多くの人々が「自虐史観」の洗脳から解き放たれる日が来ることを期待したい。
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【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。興味のある方は覗いてみてください。

盧溝橋事件の後で、なぜ我が国は中国との戦いに巻き込まれたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-250.html

「黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-251.html

中国兵が綴った「日中戦争」の体験記を読めば、『南京大虐殺』の真実が見えてくる
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-252.html

陥落直前に無責任にも南京を脱出した中国軍の最高指揮官が栄転したのは何故か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-253.html

蒋介石に外国の干渉を導くことを進言したドイツの軍事顧問団
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-254.html







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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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