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満州の民衆が関東軍を敵視しなかったのはなぜなのか

昭和6年(1931)9月18日の柳条湖事件から始まった満州事変で、30~40万いたとされる張学良軍は、およそ1万の関東軍によって総崩れとなって満州から駆逐されてしまったのだが、彼らは圧倒的に兵士の数では関東軍よりも優位にあっただけでなく、さらに飛行機や戦車などの近代兵器も大量に保有していた。にもかかわらず、簡単に関東軍に敗れてしまったのはなぜなのか。

張学良

Wikipediaにはこのような記述がある。文中の「彼」は張学良である。
満州事変が勃発した時、彼は北平にいたが、日本軍侵攻の報告を受けると日本軍への不抵抗を指示した。応戦すれば日本の挑発に乗ることになると判断したことや平和解決を望んだということ、日本にとって国際的な非難を浴びるなど好ましくない結果をもたらすだろうと考えたと後に述べている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%AD%A6%E8%89%AF

NHK取材班が張学良にインタビューして編まれた『張学良昭和史最後の証言』には、張学良が兵士に対し日本軍に抵抗しないことを指示したことが述べられているようなのだが、普通に考えてわずか1万の関東軍に対して30万以上いたという兵士全員に無抵抗を指示したという張学良の言い分が正しいとはとても思えない。

黄文雄氏は『日本の植民地の真実』でこう解説しておられるが、おそらく真実はこのとおりではなかったか。

「それは、張学良軍があまりにも弱体だったからだ。その最精鋭の主力部隊ですら、関東軍の30センチ砲の轟音に驚倒し、そのまま総崩れとなっている。それまで排日侮日に狂奔していた彼らは、関東軍が一向に動かなかったことに安心し、完全に侮っていたのだ。逆襲があるなどとは夢にも思わなかったのである。
 彼らの本質は、匪賊と変わりがなかった。そのような軍隊だから、反乱や兵器の悪用を防ぐため、夜間銃器類は一括して格納されていた。これが主力部隊の決定的な敗因となった。」(『日本の植民地の真実』p.277)

格納されていた張学良軍の銃器の多くは関東軍によって鹵獲されたことは言うまでもない。

日本はいかにして中国との戦争に引きずりこまれたか

こののち敗残兵が満州各地で略奪と虐殺を繰り返している。
田中秀雄氏の著書『日本はいかにして中国との戦争に引きずりこまれたか』にはこのように記されている。
9月26日、京奉線を走る列車が新民屯近くでレールを外され脱線した。転覆した客車は待ち構えていた敗残兵の掠奪と虐殺の標的となり、60数名が死傷した。欧米関係では8名が犠牲となり、インド人1名が殺害され、女性を含む数名が行方不明となった。
 これには後日譚がある。破壊車両は天津に運ばれて展示された。日本軍の空爆によるもので、無辜の中国人が多数虐殺されたと宣伝に利用された。アメリカの宣伝も見事で、奉天では3名のアメリカ人が日本人に虐殺されたと報道された。
 奥地の朝鮮農民は敗残兵の毒牙にかかりやすかった。撫順の北40キロ遼寧省鉄嶺県や開原県の2千名あたりが生活する朝鮮農民一帯が襲われ、家はことごとく放火された。辛うじて虐殺を免れた農民は山に逃げ込んだ。虐殺は百名に上った。女性や子供に犠牲者が多かったのは、稲刈りの時期で避難を躊躇した家族が多かったためだ。
 10月1日、敗残兵掃討と農民保護のために重松大隊と警察官が被害地の大甸子(だいでんし)に到着した。山に隠れていた農民は日章旗を見て狂気の如く山を駆け下りてきた。日本兵は十日ばかりろくに食べていなかった彼らに食糧を配った。虐殺死体は目も当てられなかった。鉈(なた)で頭部を割られた男性、負った子供ごと刺殺された母親。藁(わら)を斬る押切で首を落とされた婦人の遺体があった(『満州日報』10月8日付)。警察官は生き残った農民を集め、『どんなことがあってもお前たちを保護する、一歩も譲らぬ』と涙ながらに語りかけた。」(『日本はいかにして中国との戦争に引きずりこまれたか』p.200-201)

東三省に於ける官兵匪賊暴挙実例

この本にはこのような事例が多数紹介されているが、これらは決して作り話ではない。この大甸子の事件は大連商工会議所がまとめた『東三省ニ於ケル官兵匪賊暴挙実例 : 自九月十九日至十一月十五日』の9月26日の記録(二十八)にもしっかり記されており、この日には2件の列車の襲撃事件が記録されていることも確認できる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187781/5

昭和7年4月14日 大阪時事新報 満洲全土に跳梁する無慮十万の匪賊

黄文雄氏は前掲書で張学良軍のことを「匪賊と変わりなかった」と記しているが、相当数は匪賊そのものではなかったか。
昭和7年(1932)4月14日付の大阪時事新報に満州匪賊の討伐の記事がでている。それによると、これら匪賊団の中心をなすものは第二次東北義勇軍で全体を指揮していたのは張学良の腹心である胡育坤であったという。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10162733&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

満蒙管理論

昭和3年(1928)に出版された細野繁勝 著『満蒙管理論』という本に、中国の当時の軍隊について非常にわかりやすい解説があるので引用させていただく。文中の「支那」というのは「中国」を意味する言葉である。

「支那には過去においても現在においても、実数を測り知る能わざる多くの軍隊がある。こは世界何人の目にも夙(つと)に映出せられている事実ながら、さてその夥(おびただ)しき軍隊はそもそも支那のために何の用を為しているか。実際は数十万乃至(ないし)百数十万をも超ゆる――1920年の統計では百三十六万と称す――その陸軍が、全部国家の兵員ではなくて、いわゆる護国軍とか、革命軍とか、いろいろの名称をこそ付すれ、その実態は一人残らず軍閥の私兵なのである。清朝時代には、それでも表面的には官兵たるの形を装っていたが、武漢革命以来は、その形式さえ失われて悉(ことごと)くそれぞれの軍閥の頭目に隷属する私軍私兵となっている。これは海軍も同様である。その上なお驚くべきことは、それが決して普通の良民ではなくて支那名物の土匪、浮浪人、乞丐(カタイ:乞食)の変形であり、それらの異名同体たる事実である。…
 私兵の存在を容認する国家は、如何なる場合においても断じて健全国家ではない。しからば私兵ばかりしか持たぬ国、私兵以外に一個の国軍も有せざる国、これを目して世界の人々はいかなる名称を与え、如何なる取り扱いを為すべきであろうか――それに国家の名を付すことすらが妥当とはいえない。…
 そこには張作霖とか、馮玉祥(ふうぎょくしょう)とか、閻錫山(えんしゃくざん)とか、蒋介石とか、唐生智などといったような各頭目と、これらに付随する私兵は存在する。そしてその私兵を擁して、一時的にある地方に権力を持つものの存在することも嘘ではない。しかしながら事実はただそれだけである。それが支那を代表するものでなければ、中華民国なるものの権利と義務を諸外国に負うものでもない。ましてや、その軍閥や私兵と没交渉なる絶対多数の支那の人民としては、たとい彼ら軍閥の徒が如何に国家の名を僭称するにもせよ、真実は少しの関係も因縁もないのである。支那の権力者と支那の人民とは徹底的に性質を異にする二元的存在である。…
 支那一般の人民は、昔からその軍隊を呼んで『兵匪』といっている。即ち武装せる盗賊の集団という意である。…
 支那にあっては、初めからその軍隊に投ずるものが匪賊不逞の徒であり、徴募せらるるものも苦力以下の浮浪者なるのみならず、彼らの目的とするところも、武器を携えて劫掠(ごうりゃく)略奪の機会を得んが為である
 支那の軍隊は、旧領が法外に安い。被服食物等も甚だしく粗末である。そしてその安い給料や衣食さえ支給されぬことが珍しくない。それを彼等は民家に対する脅迫と掠奪とで補っているのである。無論かかる軍隊のこととて、戦闘力の強かろう筈はなく、掠奪には頗る勇敢だが、戦争には極めて弱い。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1269485/41

軍閥と人民とは「徹底的に性質を異にする二元的存在」とはいっても、こんなレベルの軍隊を維持するために、人民は重い負担と数多の犠牲を強いられていたのである。
前述の大甸子の虐殺事件では、山に逃げ込んで難を逃れた朝鮮人農民が日章旗を見て山を駆け下りてきたという記録は重要なポイントである。満州の人々は、わが国の軍隊と警察に信頼を置き、わが国が匪賊の集団たる張学良軍を満州から追い払うことを心から願っていたのではなかったか。

朝鮮人に限らず満州居留民の多くは日本軍を敵視しなかったようなのだが、その背景を知るためには、かれらは張学良軍閥の為に、いかに過酷な生活を強いられてきたことを知る必要がある。

昭和7年1月12日 満州日報 満蒙新国家

上の画像は昭和7年1月12日の満州日報だが、満州居留民が日本の統治を切望した背景についてこのように解説されている。

「建国次来軍閥のため搾取されている彼等は生色を失い、今日では統治者の何者であろうと搾取主義でない統治者であればよいと悲鳴を挙げている。恐らくこれは偽らざる告白であろうが、暗に日本の監理統治を切望してる者も決して少くない
 之は今次の事変により吸血搾取者たる軍閥を一挙に屠った日本の軍隊が規律整然として秋毫も犯さざるのみか、軍行動に徴発使用した総てのものに対しては支那人からすれば余りに高価過ぎる程の金銭を支払い、兵匪のために掠奪された悲惨な良民に対しては金品を恵与し、曾て味うたことのない人間味を日本軍隊によって味うたことが彼等支那人間に如何に好感を持って迎えられたか。彼等は日本の軍隊と支那の軍隊とを比較して見たのである。
 前者は勇敢で強く、勝って良民を犯さず、戦い休めば我等の顧客で、毫末も搾取的に出でない。後者は良民にのみ強く、敗走に際しては敗戦の駄賃として手当り次第にこれ掠奪、婦女子を姦し放火殺人、全く強盗か軍隊か解釈に苦しむ。また役人は役人で重税に重税を課し、安い日本品の輸入買入を圧迫し、或は日本人との合弁事業禁示、国土盗売等々で個人的の財産を殆んど搾取し尽すという有様である
 今日の彼等は生きんとして生きられぬ悲惨な極に達していた。何が彼等をそうさせたか、云うまでもなく軍閥と役人所謂彼等の統治者である
。日本の統治を切望し歓迎するのは理の当然であろう。」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10162877&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

張学良は満州の民に過酷な重税を課しただけでなく、軍の兵士が各地で資産家の誘拐・強奪・財産没収などの悪事を働いていたわけだが、一般居留民がそのために恐怖に晒されていた状況を改善するためには、『兵匪』と呼ばれていた連中を武力で討伐する以外にどのような方法があったというのだろうか。わが国は何度も「厳重抗議」を繰り返してきたのだが、そんなことで改善してくれるような相手ではなかったのである。

奉天入城

よく関東軍が満州を「侵略した」と描かれるのだが、居留民に対し掠奪・暴行を繰り返してきた張学良の私兵を関東軍が討伐したことを、果たして「侵略」と呼ぶべきなのであろうか。
もし満州の人々が関東軍を敵視し強く抵抗したのであれば、「関東軍の侵略」という言い方は理解できるのだが、実際のところはどうであったのか。

まず満州の人口の推移から見てみよう。
満州国が建国された1932年10月の人口は2928万人であったが、1940年には4108万人に増加している。
次に満州国の予算規模は1932年が一般会計113百万円、特別会計42百万に対し1940年は一般会計574百万円、特別会計2,025百万円と大幅に増加している。

もし関東軍が満州の人々に敵視され抵抗されていたのなら、人口が増加することも、経済が成長して税収が増えることもなかったであろう。関東軍に対する満州の人々の支持があったからこそ、平和が訪れて満州の人口が増加して経済発展を遂げたと考えるべきではないのか。

昭和6年10月10日 満州日報 果たして成功するか満洲独立運動

関東軍が張学良軍を打ち破っていく過程で、満州の各地で中華民国からの独立運動が澎湃として立ち上がっていく。上の画像は昭和6年10月10日の満州日報だが、このような記事は他の新聞でも多数報じられている。誤解されないように一言加えておくが、これらの独立運動は関東軍に抵抗するものではなく、それまでの軍閥支配に対する抵抗運動である。張学良の勢力が衰えたから、満州人を中心に独立運動が起きたのである。 
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10161157&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

また9月29日のわが国の閣議では、このような独立運動に関与することは諸外国の誤解を招くことになるので、陸軍も外務省も一切関与しないことが決定されていることを知るべきである。

しかし、この時点では関東軍が張学良の残党討伐はまだまだ終わっていなかった。
黄文雄氏の前掲書にはこう解説されている。
満州事変が起こると、中国側の軍隊22万人と警察官11万人の大部分は民衆の武装勢力と合体し、あるいは錦州に逃れた王以哲軍に合流している。この混乱に乗じて匪賊集団は勢力を拡大し、敗走兵や逃亡兵も取り込んで人員、装備を充実させ、強大な勢力を形成し、匪賊の総数は十数万にも膨れ上がった。
 こうした匪賊が錦州にいた王以哲軍に合流し、遼西地方を荒らしたため、1931(昭和6)年12月には関東軍が、奉天省長臧式毅(ぞうしきき)の要請を受け錦州を攻撃、翌年7月にここを占領して、武装集団を内外に駆逐した。
 このように匪賊、兵匪が各地で跳梁する政情、治安の不安定ななかで満州国は成立した
。」(同上書p.302)

「満州国は関東軍の傀儡国家」などとよく言われるのだが、満州国が成立したのは1932年3月1日で、関東軍が匪賊討伐を完了したのはその4ヶ月もあとの話なのだ。
関東軍が満州のあちこちで勃発した独立運動を仕掛けて工作した証拠があるなら『傀儡国家』という言葉を使うことは理解できないわけではないが、この言葉を使う論者は論拠を示さずにただレッテルを貼っているようにも見える。彼らはその論拠が薄弱であることを承知の上で、議論を避けるために声高に言い続けているだけではないのか。

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【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。興味のある方は覗いてみてください。

学生や軍部に共産思想が蔓延していることが危惧されていた時代~~ポツダム宣言4
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-293.html

政府中枢にいてソ連に忠誠を尽くそうとした『軍国主義者』たち~~ポツダム宣言5
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-295.html

『玉音放送』を阻止しようとした『軍国主義』の将校たち~~ポツダム宣言6
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-296.html

昭和20年8月15日に終戦出来なかった可能性はかなりあった~~ポツダム宣言7
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-297.html

国内で徹底抗戦と言いながらソ連参戦後すぐに満州を放棄した日本軍~~ポツダム宣言8
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-298.html









関連記事
Comment
ありがとうございます。
毎回、驚きを以て拝読させていただいております。
今回ご紹介いただいた『満蒙管理論』の引用には思わず唸ってしまいました。
軍隊や国家というものの概念が、まともな国とは根本的に違っているんですね。
かの国(国と呼べるかどうかも不確かですが)の行動原理を解する上でこれほど当を得た解説はないでしょう。
現状でもかの国の政治および軍備体制は全然変わっていないようです。
また、かの国の工作員(無自覚なシンパも含め)がどうして日本国の自衛隊や保守政治家に奇妙な偏見を持って攻撃するのか精神構造が理解できた気がします。
Re: ありがとうございます。
ネコ太郎さん、コメントありがとうございます。

『満蒙管理論』は『国立国会図書館デジタルコレクション』で「兵匪」という用語で検索してたまたま見つけた本ですが、私も読んで驚いて、満州事変の3年以上前の記述だからこそ価値の高い文章だと思って引用させていただきました。確かに、今のあの国にも少なからずつながるところがありますね。

しかし、戦前にはこんなに鋭い書物があったのに、戦後のわが国でこのような視点でこの時代のあの国を描く日本人の文章を読んだことがありません。少なくともこの国の研究に関する限り、わが国の歴史研究のレベルは相当低下しているような気がします。
応援してます
しばやんさんは知られざる歴史を教えて下さるので、とても興味深いし勉強になります。
今の若い人にも戦後の嘘だらけの自虐的歴史教育から脱出して正しい歴史を学んで欲しいものです。
嘘ばかりの山川日本史よりましな日本史の教科書が出ないかといつも考えてます。

話がそれてしまいましたが、いち読者としてささやかながら応援しております。
Re: 応援してます
ゆで卵さん、とてもうれしいコメントありがとうございます。とても励みになります。

若い頃は歴史にあまり興味を覚えず、テレビなどで垂れ流される歴史叙述は正しいものとばかり考えていましたが、ネットで廃仏毀釈を調べているうちに、通説に疑問を覚えるようになり、次第にいろんな時代の歴史に興味を覚えるようになりました。

いつの時代もどこの国でも、歴史の編纂は勝者が行うもので、勝者にとって都合の悪い事実は封印され、勝者にとって都合の良いように、時には真実が捻じ曲げられて記されることが多々あるようです。戦後の歴史書は戦勝国の立場で記されている傾向がありますが、いつの時代も勝者の編纂した歴史だけでなく、敗者の立場や中立の立場の記録を読んで、初めて真実が見えてくるのではないかと考えています。

まだまだ未熟者ですが、これからも頑張りますので、時々覗いてみてください。

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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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