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長篠の戦の武田勝頼公本陣跡から満光寺庭園、阿寺の七滝などを訪ねて

設楽原歴史資料館の駐車場から医王寺(新城市長篠字弥陀の前256)に向かう。
長篠の戦いで、武田勝頼がこの寺に本陣を置いたとされ、境内には『武田勝頼公本陣跡』と記された石碑が建っている

医王寺 勝頼公本陣跡

新城市のHPによると、『三川日記』という文書に、武田軍の長篠包囲において本軍の武田勝頼らは医王寺山に三千の兵を配置したことが記されているそうだが、山麓の医王寺境内地内には陣城と思われる遺構は確認されていないという。
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/8,22232,149,722,html

しかしながら旧広島藩主浅野家に伝えられた城絵図(『諸国古城之図』)中に「勝頼陣城」と記された医王寺(三河設楽)の絵図があり、この絵図は、ほぼ医王寺の現況に近く描かれているという。
調べると、広島市立図書館のホームページに『諸国古城之図』の全177枚が公開されていて、その29枚目が医王寺の「勝頼陣城」図で、寺の裏山(医王寺山)の山頂付近に陣が築かれていたことがわかる。
https://www.library.city.hiroshima.jp/hiroshima/webgallery/kojo.html

医王寺 2

上の画像は武田勝頼本陣の物見櫓を復元したものであるが、山の上からは長篠城や鳶が巣砦など武田軍陣地のすべてが展望できるのだそうだ。

医王寺 弥陀の池

「勝頼陣城」図の中央に描かれている池は「弥陀の池」といい、「緑さす 片葉の葦や 弥陀の池」と記された句碑がある。
現地の案内板には、長篠の戦いに関する伝説が残っていることが記されていた。
「決戦前夜のこと、勝頼の枕元に白髪の老人が立ち『明日の決戦は無謀だ、戦いをやめて故郷に帰りなされ』といさめたところ夢うつつに勝頼はとっさに傍らの太刀をとり、老人の肩口に斬りつけました。老人は煙のように消えましたが、翌朝、弥陀池の久葦がすべて片葉となったというお話です。」

弥陀の池には多くの葦が生えていたものの、「片葉の葦」がどのようなものであるかがよくわかっていなかったので探すことはしなかったが、帰宅後ネットで調べると全国各地の「片葉の葦」の画像を見つけることが出来た。次のURLには東京都墨田区中川の「片葉の葦」が紹介されている。
http://kana-kana.at.webry.info/201407/article_3.html

医王寺から次の目的地である旧黄柳橋(きゅうつげばし)に向かう。
宇連川(うれがわ)にかかる鳳来大橋を渡ると乗本の交差点があり、その交差点右手に黄柳川(つげがわ)にかかる旧黄柳橋がある。

旧黄柳橋

この橋は大正7年(1918)に建築された鉄筋コンクリート製のオープンアーチ橋で、アーチスパン30.3mは当時としては全国一の長さであったという。
交通量の増加に伴い新しい橋が架かって、当初はこの橋は撤去される計画であったのだが、その文化財的価値が認められて残されることとなり、平成10年(1998)に国の登録有形文化財に指定されている。

黄柳川

車で新しい黄柳橋を走っている時には気が付かなかったのだが、この橋の下を流れる黄柳(つげ)川の谷はかなり深い。旧黄柳橋の手前に川に向かう階段があり、降りていくと旧黄柳橋を下から眺めることができる。川底に届く橋脚が1本もなくて、よくこんな橋が100年も前に建築できたものだと感心してしまった。

旧黄柳橋から長篠城址の地図

交差点の「乗本(のりもと)」という地名は船の乗降地を意味しているのだそうだが、この辺りから宇連川を下り豊川と合流するまでの地域を「乗本」というらしい。前回の記事で書いたが、この二つの川の合流する場所に長篠城址がある。

鵜飼船のモニュメント

乗本は、江戸時代から明治にかけて豊川の水運の拠点として重要な役割を果たしてきた地域だという。旧黄柳橋から豊川の合流点までは川幅が狭く岩場も多いため、小型の幅の狭い鵜飼船で荷物を運んでいたそうだ。鵜飼船といっても鵜飼をしていたわけではなく、鵜飼型の船を水運に用いたとのことである。旧黄柳橋の近くに鵜飼船のモニュメントがあったのでカメラに収めておいた。

旧黄柳橋から満光寺(新城市下吉田田中140 ☏ 0536-34-0116)に向かう。

満光寺 1

案内板によると、この寺は貞観2年(860)に創立されたがその後衰退し、天文元年(1532)に今川義元の配下で山吉田城主であった鈴木重勝が、曹洞宗の禅寺として再興させたという。
それから数十年が経過したある日、この寺に徳川家康が一夜を過ごしたエピソードが有名なのだが、案内板にはこう記されている。

元亀年間(1570頃)家康が若い頃武田信玄との戦に敗れ山吉田まで落ち延びて来た。ちょうど満光寺という寺が目に止まった。
 そこで住職に一夜の宿を頼んだ。住職は気の毒に思い快く泊めることにした。家康は大変喜んで住職にお礼を述べ、さらに『ご住職、まことに相済まぬが、私どもは故あって明朝早立ちしたいと思う。よって一番鶏が鳴いたら必ず起こして戴きたい』と頼んで寝についた。
 そして真夜中になった頃であった。不思議なことにその夜に限って寺の鶏が真夜中に刻を告げた。住職は随分早く鳴いたものだと思いながらも、約束のことを思い早速家康たちを起こした。家康は厚くお礼を言って大急ぎで闇の中を出発して行った。
 ところが家康一行が去って間もなく武田の一隊が寺を包囲したが、家康一行は一瞬の差で危機を脱することが出来た
 のち天下を統一した家康は、この恩返しとして満光寺のニワトリに三石の扶持を与えた。
 その後慶安2年(1649)三代将軍家光から寺領20石が与えられた
。」

満光寺庭園

また満光寺の庭園の作庭者は不明だが、裏山の山裾を利用した鶴亀蓬莱式の池泉鑑賞庭園で愛知県指定文化財になっている。
部屋から庭園を鑑賞していると、どこからかコシアキトンボが飛んできて、池のまわりを旋回し始めた。私の実家の寺にも池があって、子供の頃にトンボを追いかけた日々のことを思い出してしまってあっという間に予定の時間が過ぎてしまった。

新城市には歴史散策を楽しめる場所が多いだけでなく、滝や渓谷美などで有名な場所がいくつもある。満光寺の次の目的地は、日本の滝百選に選ばれている阿寺の七滝である。

阿寺の七滝への道

県道442号線沿いに駐車場(新城市下吉田黒渕25)があり、そこから滝まで15分ほど歩く必要があるのだが、深い緑に覆われて思いのほか涼しく、沢沿いの道は平坦で歩きやすくて誰でも気持ちよく滝つぼに到着できると思う。

阿寺の七滝

上の画像が阿寺の七滝で、滝が7段の階段状になっていることから七滝と名付けられたという。こういう美しい滝は、じっと見ているだけで爽快な気分になってくる。

近くには百間の滝という愛知県最大の滝もあるのだが、駐車場が狭いのと、一部の道路が通行止めになっているようなので今回は見送ることとした。
チャレンジされる方は、新城市のホームページにう回路の地図が出ている。
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/8,3146,c,html/3146/20180130-112401.pdf

いつも旅行の計画を立てる時に、近辺に残されている文化財を調べるのだが、この阿寺の七滝よりもさらに山奥に巣山という集落があり、その集落の熊野神社に国の重要文化財に指定されている鎌倉時代の仏像が2躯、愛知県の文化財に指定されている鎌倉時代の仏像が1躯と懸仏が3面、新城市の文化財に指定されている仏像などが7躯と狛犬1対が残されていることが目に止まった。

熊野神社の仏像

新城市のホームページによると、巣山地区は江戸時代に鳳来寺と秋葉寺を結ぶ秋葉街道の宿場町として栄えたところで、この地域には金隆山高福寺(こうふくじ)と野高山栖雲寺(せいうんじ)の2つの古刹があった。ところが高福寺は明治維新期に廃寺となってしまって仏像などを栖雲寺に移したのだが、その後地区住民が神道に改宗したことから栖雲寺も廃寺となり、以降熊野神社の氏子の方がこれらの仏像を収蔵庫に収めて管理しているのだという。次のURLに仏像の解説と画像があるが、なかなか立派な仏像である。
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/8,18127,152,720,html

拝観が可能かどうかを新城市に照会してみたのだが、毎年春分の日に一般公開しているほかは、団体の希望がある場合に日程を調整のうえ案内していただけることがあるとのことであった。
地元の方3名が文化財の管理をしておられ、公開する際には2名以上が立会うことにしておられるとのことで、普通の観光客は春分の日に訪れるしかなさそうだった。

熊野神社

この熊野神社を訪れてみたくなって旅程に入れておいたのだが、どこにでもあるような、無人の小さな神社であるのに驚いた。神社の周囲には田んぼばかりで人家は少なく、かつて宿場町として栄えた地域とは思えない。

明治初期の廃仏毀釈の事例をこのブログで何度か紹介してきたが、仏像が破壊されたり売却された事例が多い中で、巣山のように明治初期に廃寺になった寺の多くの文化財を何世代にもわたって地元の人々が大切に守り続けているケースは珍しいのではないだろうか。これだけ貴重なものが数多く残されているならば、ただ保管するだけではなくて、観光資源として地域の活性化につなげることができないものだろうかとも思う。

はづ別館

奥三河旅行の初日の旅程を終えて、宿泊先の湯谷温泉に向かう。
湯谷温泉は鳳来峡の宇連川沿いに広がっている温泉で1300年ほどの歴史があり、日本百名湯にも選ばれている。
私が選んだ宿は「はづ別館」で、渓流沿いにある大正ロマン風のレトロな趣のある建物だ。
温泉はもちろん源泉かけ流しで、料理もおいしくいただけて大満足だった。



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【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。興味のある方は覗いてみてください。

「大原騒動」の史跡や飛騨の国宝や渓谷などを訪ねて白骨温泉へ
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-154.html

白骨温泉から奈良井宿、阿寺渓谷を散策のあと苗木城址を訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-165.html

高知市五台山の名所から、いの町の文化と自然を楽しむドライブ~~高知方面旅行2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-170.html

中津渓谷から秋葉神社に向かい、最後に武田勝頼伝説の地を訪ねて~~高知方面旅行4
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白山信仰の聖地を訪ねて加賀禅定道を行く
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浄土真宗の僧侶や門徒は、明治政府の神仏分離政策に過激に闘った…大濱騒動のこと
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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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