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敗戦後の混乱期に日本列島を襲った「昭和南海地震」

以前このブログで「軍部が情報を握りつぶした『昭和東南海地震』」という記事を書いた。この地震は昭和19年(1944)12月7日午後1時36分に起きた、和歌山県新宮市付近を震源とするマグニチュード7.9の巨大地震のあと津波が発生し、全国で死亡・行方不明者は1223名、壊れた家屋が57千戸以上とされる大災害であったのだが、この情報が漏れることを恐れた軍部が情報を統制したため、詳しい記録が残されていないという。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-420.html

そして、その地震からわずか2年後の昭和21年(1946)に、今度は潮岬南南西約50kmを震源とするマグニチュード8.0の地震が発生している。今回はこの地震のことを書いておきたい。

終戦の年である昭和20年(1945)の米の収穫高は例年にない凶作であったうえ、海外からの引揚げ者や復員兵の増加によって昭和21年(1946)に入ると食糧事情は急速に悪化し、配給米の遅配や欠配が続いたという。お金があれば闇米を買うことは可能であったが、庶民の手の届くような価格ではなかったようだ。都市部では餓死者が続出し、もっとも悲惨であったのは戦災孤児や空襲被災者たちで、彼らは食料と交換できるお金も品物も持ち合わせていなかった。
5月19日には皇居前に25万人が集結し、政府の食糧配給遅延に抗議する集会が開かれている(食糧メーデー)。

そのような暗い年の12月21日の夜明け前に、西日本を襲ったのが『昭和南海地震』である。地震のマグニチュードは昭和東南海地震(M7.9)を上回る規模であり、この時も津波が発生して死亡行方不明者が1443名、住宅全半壊が28274戸、流失浸水が30330戸、焼失が2598戸と多くの被害が出たのだが、人々の生活がそれぞれ自分の事で精一杯であったため、罹災者には国民的な支援が届かなかったという。

この地震においても津波が発生し、和歌山、高知、徳島の三県で多くの津波被害者を出したのだが、この地震で最大の被害が出たのは高知県で、679名の死亡行方不明者、住宅全半壊が13853戸もあったという。山下文男氏の『津波てんでんこ』に、津波の被害の大きかった須崎町(現須崎市)、多ノ郷村(現須崎市)の事例が解説されている。この地域の被害が大きかった原因の一つは、その地形とその産業にあったという。

高知県須崎市
【須崎湾】

「V字形の湾がくの字形になって入り組んだ須崎湾では、侵入してきた津波が、まず湾奥の真正面にある多ノ郷村を直撃し、破壊の限りを尽くした後、反転して、湾の入り口近くにある須崎町に背後から襲いかかり、惨憺たる被害をもたらした。
『(津波)が、貯木材、家屋などを逆巻きながら、須崎駅近辺に不気味な音をたてて、ゴロゴロ、ガラガラ、バリバリ、ベリベリと猛りたって急速に迫るや、まだ明けやらぬ暗がりの中、子は親を叫び、親は子を叫び、助けを求める悲痛な無限地獄を現出し、夜が白々と明けてゆく頃には、須崎駅付近に三十何名かの死体が横たわっていたことは涙なくして見ることが出来ない悲惨な光景であった』(『南海大震災誌』)」(『津波てんでんこ』p.142)

昭和南海地震須崎港

須崎湾奥にあった貯木場の木材が津波の引き波で市街地に流入したことが津波の被害を増大させたことは、須崎市が刊行した体験談集『海からの警告』にも多数事例が出ていて、津波のために凶器と化した木材によって多くの犠牲者が出たようだ。須崎市のホームページを見ると、今では木材が固縛されたり、津波バリアが築かれるなど対策が施されているようだが、このような対策は海沿いにある貯木場で全国的に行われているのであろうか。
http://www.city.susaki.lg.jp/life/detail.php?hdnKey=429

次に、高知県の次に被害の大きかった和歌山県の事例を見てみよう。和歌山県では269名の死亡行方不明者、家屋流出325戸、浸水11820戸、住宅全半壊が3411戸出たという。

和歌山県田辺市新庄町
【田辺市新庄町】

最大の被害地は新庄村(現田辺市)だそうだが、地図で確認すると大きなV字形の田辺湾の最奥部に当たる位置にある。湾の中に入り込んだ津波が、山に囲まれて次第に狭くなる地形の中で行き場を失い、次第に波高となって破壊力が増していくことになるので、このような地形は津波の被害が出やすいのである。

昭和南海地震 新庄村
昭和南海地震 新庄村】

前掲書によると新庄村の630戸のうち地震による倒壊は古い家屋2~3戸に過ぎなかったが、津波で79戸が流出し、401戸が浸水。全半壊が85戸を数え26人が死亡行方不明になったという。(p.137)

広川町
【広川町】

和歌山には新庄村と同様に歴史的に津波被害が良く出る地域として広川町(旧広村)がある。
地図で確認すると、広川町もV字型の湾の最奥部の位置にある。
安政南海地震の時に、五兵衛という人物が激しい地震の後の潮の動きを見て津波を確信し、高台にあった自宅から松明を片手に飛び出し、自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に次々に火を着けて村の人々が高台に集まったことで村人を救ったという話は作り話であることを以前このブログで書いたが、この物語のモデルである濱口梧陵は津波対策の為に紀州藩の許可をとって堤防の建設に着手し、高さ5m、幅20m、長さ670mの大堤防の建設に着手し、建設費の銀94貫のほとんどを自費で賄ったと伝えられている。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-19.html

安政南海地震津波と昭和南海地震津波の浸水域比較 赤線が広村堤防
【安政南海地震津波と昭和南海地震津波の浸水域比較 赤線が広村堤防】

この広村堤防は昭和19年(1944)の昭和東南海地震の時はその役割を果たしたが、昭和21年の昭和南海地震の時は津波の高さが5mと高く、堤防のある地域の被害は一部の家が浸水した程度にとどまったが、堤防のない地域で22名の死者が出たという。上の地図は気象庁のホームページのもので左が安政南海地震津波の浸水域で右が昭和南海地震時の浸水域である。薄い赤線が、濱口梧陵が建設した広村堤防であり堤防により津波被害を小さくすることが出来たことは明らかである。
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/tsunami/inamura/p7.html

津村建四郎
【津村建四郎】

この広川町に生まれて子供の頃に昭和南海地震を体験した地震学者の津村建四郎さんが平成2年(1990)に行われた「第1回全国沿岸市町村津波サミット」で、みずからの体験をもとに語られた講演の内容が山下文雄氏の本に出ているので紹介したい。文中の「紡績工場」は気象庁地図にある「日東紡績」で、「八幡さま」は「広八幡神社」だと思われる。

「みなさん、津波を発生させる恐ろしい地震と、そんなに恐ろしくない地震の見分け方をお教えしましょう。ぐらぐらといつまでも揺れ続けている地震が海底で起こった場合は津波が発生する恐れがあると考えてください。私が子どもの時分に体験した昭和の南海地震はものすごい地震で、しかもかなりの時間、揺れ続けていました。揺れ自体は、5分後くらいにはおさまり、その後非常に静穏な時間がありました。『大地震があったら逃げろ』と教えられてはいましたが、やはりその時点では逃げなかったのです。その後、深閑とした時間が15分くらいあり、余震もあまり感じられませんでした。そのうち沖からゴーッという凄い音がしてきました。近所の人が『津波だ!』という叫び声をあげました。その途端『逃げろ!』という感覚がよみがえってきました。冬の午前4時20分ですから、真っ暗です。しかし地元ですから、どの道をどう行けば八幡さま(避難場所)への最短コースかは分かっていました。
 みなさん、家族そろって避難するという訓練をやっておられるかも知れませんが、実際に暗闇の中で津波が押し寄せて来るという状況の中では、家族そろって避難するなどということはまず出来ません。ですから、今、考えると、一人ひとり、子どもに至るまで、一人で逃げのびる方法を教えておくべきだったと思っています。私も路地を必死になって逃げました。家族ばらばらになり、早い者勝ちで逃げました。
 逃げる途中にある紡績工場のすぐ側には小さな小川が流れています。平素は2~3mの高さで、川底にはチョロチョロ水が流れているところです。私が紡績工場のすぐ側を通過した時には、数メートルの橋の上で、津波が足のくるぶしぐらいまで上がり始めた時でした。そこを必死になって突っ切りました。数十メートル行きますと、やや小高くなったところがあり、そこに辿り着いて助かりました。私の姉は、ほんの1~2分の差でしたが、水が橋の上の方まで来ていたので、川を突っ切ることができず、田園の中を必死になって逃げたそうです。腰ぐらいまで水につかりながら逃げのびました。もっと後れた人が、ここでたくさん亡くなりました。紡績工場のすぐ隣の社宅には、地方から来た、地元以外の人も大勢いらっしゃいました。亡くなった方々はそういう人たちが多かったようです。ですから常に津波が来た場合のことを頭に入れておくだけでなく、津波が押し寄せて来て非難するときは、どのルートを辿って逃げるのが安全なのか、普段から、そのルートを自然に行けるよう(子どもたちに)教えておく必要があると思います。」(同上書p.138-140)

平成23年(2011)3月11日の東北大震災の時は、関西でも随分長時間の揺れを感じたが、震度が低くても、揺れの長い地震は津波が来る恐れがあるので注意せよということだ。

徳島県海陽町浅川と牟岐町
【徳島県海陽町浅川と牟岐町】

徳島県もまた昭和南海地震の被害が大きく211人の死者が出たのだが、特に多くの死者が出たのが浅川村(現海陽町)の85人と牟岐町の53名で、いずれもV字形の湾奥に位置している。

昭和南海地震 浅川港
【昭和南海地震 浅川港】

浅川村住民の体験記をつづった『宿命の浅川港』にはいくつもの教訓的な体験談が収録されているという。再び山下氏の著書を引用する。
「辻肇(68歳)さんは『小さい頃から、津波が来るときには、一旦、潮が『ザーッ』と干いて(海が)からからになり、今度は怒涛のように押し寄せて来ると教え込まれとった。』けれども『目の前は、何分もたっとるのに、ちっとも干いとらなんだ。じっと見よったら『グッグッグッ』というような音がして水が浜の方へ盛り上がってきよった。『こりゃおかしい』と思って足早で帰った』『びっくりして庭へ降りたらもう水がきとった。』と語っている。
 津波は引き潮から始まるという知識は、一面的な思い込みに過ぎなかったことを示している。」(同上書 p.147)
「角田稼一郎という方の体験談だが、『家の中にあった井戸をのぞいてたけど水があったけん『津波やきいへんわ』という調子だった』。然し『まえに学校の先生に教えてもらうとったんは『地震が揺ったら必ず井戸の水が引く。それから津波が来る』ということやった』、と批判的に話している。
 …昭和の三陸津波の際、岩手県の田老村などにも同様の語り継ぎがあって、わざわざ井戸を覗きに行ったがために逃げ遅れてしまった人たちがあった。各地によくある、もっともらしい言い伝えだが、これも真に受けてはならない俗説の類であって、井戸水の干満など、当てにすべきことでもない。」(同上書 p.147-148)

私も小学校時代に津波の前に引き潮があるとか、井戸水が引く話を先生から教えて頂いた記憶があり、それが誤りであるとは思っていなかった。もしかすると津波に引き潮がある場合とない場合、井戸水が引く場合と引かない場合があるのかもしれないが、このような貴重な体験談は将来においても、人々の記憶に留めておくべきものだと思うのだ。

このような記録を集められた書物の多くは今では簡単に手に入らなくなってしまっているのだが、誰も読むことが出来ない状況が続くといずれ、貴重な体験談が忘れ去られてしまい、再び俗説がはびこることになってしまうのではないだろうか。自治体によってはHPに一部を公表しているところもあるようだが、先人が書き残した貴重な記録が、地元の人々だけではなくて、全国で幅広く読まれるように工夫していただきたいと思う。
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