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消えた門跡寺院

江戸時代の安永から天明(18世紀後半)のころに「都名所図会」「拾遺都名所図会」という京都の旅行案内書のようなものが出版されている。この本は国際日本文化研究センターのWebサイトに原文と図絵と翻刻文があるので、誰でも容易に読むことができる。
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/index.html
都名所図会

京都に生まれ育ったので良く知っている場所を中心に読み始めると、いくつかの有名なお寺が消えているのに気づいた。

たとえば、「照高院」という門跡寺院が左京区に存在していたのがなくなっている。門跡寺院というのは皇族や摂家が出家する特定の位の高い寺院のことで、親王(天皇の子供、孫)または法親王(出家後親王の宣下を受けた皇子)が住職として居住するのは仁和寺、大覚寺、三千院など13の寺院しかない(宮門跡、あるいは十三門跡)のだが、そのうちの一つがこの「照高院」なのである。

このお寺はもともとは桃山時代の文禄年間(1592~96)に豊臣秀吉の信任が厚かった道澄上人が東山妙法院に創建した寺院であったが、方広寺鐘銘事件に関連して取り壊されてしまい、その後江戸時代の元和五年(1619)、後陽成天皇の弟・輿意法親王が、伏見城の二の丸松丸殿を譲り受け、門跡寺院として白川村外山(現北白川仕伏町)に「照高院」を再建されたのである。

「拾遺都名所図会」では、「照高院」については11行も記述され、照高院で詠まれた和歌なども紹介されているのだが、このお寺が今は存在しない。
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyotosyui/page7t/km_01_406.html

ではなぜこのような由緒のある「照高院」が明治時代に取り壊されるに至ったのか。

ネットでいろいろ調べると「照高院」の再建以来、道周・道晃,道尊,忠誉の四法主法親王を経て明和7(1770)年以降は寺領その他一切が聖護院門跡の支配にゆだねられ、それから約百年の間は法主が置かれなかったようである。
明治元(1868)年になって聖護院宮御法弟智成親王を照高院主に任じ復飾させたが、明治3年智成親王を還俗させて照高院を北白川宮と改称したという複雑な経緯が書かれている。
その後明治5年に智成親王は若くして薨去(17歳)され、遺言により御実兄能久親王が北白川宮のあとを継いだが、宮家が東京に移転し、能久親王は明治3年からプロイセンに留学のため日本を離れており、明治9年に帰国を命じられるまでにほとんど日本に居住していなかったことから、明治8年に照高院の堂宇は撤去されることになったらしいのだが、なぜ由緒ある立派な建物が撤去されなければならなかったのかが、これだけ読んでもよくわからない。

いろいろ調べていくと、明治維新のころの宗教政策に辿り着く。
中学や高校で日本史を学んで「廃仏毀釈」という言葉は知っていたが、詳しく調べるとその実態は私が想像していたレベルをはるかに超えていた。歴史あるお寺が沢山残っている京都や奈良ですらその破壊も相当なものであったが、佐渡、土佐、富山、津和野、薩摩藩などは特に激しく、薩摩藩では島津家の菩提寺であった福昌寺を含め1661ものお寺が破壊されていることをつい最近知った。 この時期に全国の寺院の約半分がなくなっているらしいのだが、歴史の暗い部分は、通史を読むだけではなかなかわからないものだ。

たとえば、薩摩藩では次のサイトで南日本新聞に連載された記事を読むことができる。
http://myoenji.jp/haibutukisyaku.html

何故明治3年に照高院を北白川宮と改称し、智成親王を還俗させたかは、明治政府の次の布告や施策と関係がありそうだ。

明治二年 寺院の宗旨人別帳を所属藩に提出させる(行政官布告)
      …国民の戸籍を政府が寺院から奪取
     寺院堂上から菊の御紋を禁止(行政官布告)
      …門跡寺院も紋章を使えなくなった
     明治天皇の東京奠都
     神祇官を太政官の上位に置き、祭政一致の体制を確立
明治三年 大教宣布の詔…廃仏運動が全国に広がる
     富山藩主が一宗一ケ寺の令を出し、領内大多数の寺院を廃毀

もし「照高院」が門跡寺院として残っていれば、北白川が観光地になっていたことはほぼ間違いないだろう。
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Comment
それでも足らないが…
しばやんさま。
丁寧な調査と、練られた文章に、素晴らしさは感じます。
また、この消えた門跡寺院の記事では、江戸時代にもかなりたくさん刊行された○●名所図会に言及した上で、課題・内容を絞り、関連項目・論点・疑問には、敢えて触らない編集の美学と決断力を感じました。
わたしも、鹿ケ谷霊鑑寺・宇治方面の江戸時代の所領(施政権と検断権)と所有権の問題。廃寺や、お寺の変遷など、調査では難儀しています。
二次資料としては、昭和京都名所図会なども閲覧、転記などしていますが、疑問は泉の様に湧き、考察決定出来る事は僅かばかりです。
理系だったあたしに、文学史学民俗学の手ほどきをして下さった清水先生の蝸牛窟そのものに成って仕舞いそうです。師匠に弟子は似るのですね…^^;
No title
みぃにゃんさん、コメントありがとうございます。

古い資料を探す時に、私は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーを良く使います。
キーワードを入れるだけで書籍名がわかり、章立てから面白そうな本を探して読んでいけば良いですよ。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
この論文、お読みでしょうか?

http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f43-12.pdf
Re: タイトルなし

年金生活者さん、貴重な情報を頂きありがとうございます。

廃仏毀釈についてこんなに詳しく外国人研究社が論じているといることに驚きました。
亀井茲監、福羽美静という名前は知っていましたが、普通の歴史書にはまず名前が出て来ることはありません。それは廃仏毀釈は薩長にとっては都合の悪い史実であることと無関係ではないでしょう。

参考文献も明示されていることはありがたいです。ゆっくり読ませていただきます。
門跡寺院
こんにちは。いつもお世話になっております。
箸蔵寺の神仏分離についてお寺の見解にあった真言宗御室派の件、私はしばやん様のこちらの記事の門跡寺院の事をすぐに思い出しました。

仁和寺と照高院、同じ門跡寺院なのに何故なのかなー?と、わくわくしてしまいました。

様々な事を教えていただくだけでなく、悩んだ時にひとつのきっかけを教えて下さるしばやん様の記事は、本当に貴重な存在だと思います。

これは蛇足ですが、時代祭の先頭を初めて見たとき、私はびっくりしました。
あー、そうか、京都から見たらこうなのかと。

地域ごと、立場ごとに様々な見方があるんだなぁと、生まれ育った土地を離れて初めて気付きました。

これからも、もっともっといろいろな事を知りたいです。
よろしくお願い申し上げます。


Re: 門跡寺院
つねまるさん、いつもお世話になっております。

古い記事までよく読んで頂いていて有難いです。

門跡寺院で他にも奈良興福寺の一乗院、大乗院が明治期に失われています。いずれも奈良で5指に入る大寺院でした。
宗派でみると、門跡寺院は真言宗、天台宗の寺が多いですね。

時代祭は、京都に長く住んでおりながら学生時代に一度見たきりです。私も明治維新から遡る順番が意外でした。
ただ、見ていてそれほど面白くなかったので、途中で帰ってしまいました。
私はお祭り大好き人間ですが、静かな行列を見るよりも、神輿や山車が出る賑やかな祭りの方が好きです。
昔読んだ論文のコピーが、本棚の奥から出てきました。
而して、その題名は、「近現代の山岳宗教と修験道ー神仏分離令と神道指令への対応を中心にー」(宮家準博士)。
下記のサイトから入手できます。
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f43-5.pdf

この論文を読み返して、驚いたのは、「・・・一方1949年の中華人民共和国の成立、1950-55年の朝鮮戦争により、共産主義が外圧になると、GHQは日本人の精神的な支えとして神道を助長するようになっていた。」という記載があったことです。この論文を最初に読んだときは、気に変えなかったようです。この記載の引用先が示されていませんので、宮家博士が実際に見聞されたことがベースになっているのかも知れません。具体的に、GHQは、どのように神道を助長したのか、知りたいのが、小生の偽らざる気持ちです。
Re: タイトルなし
コメントありがとうございます。

宮家博士に聞かないと分からないので、推測しか書けませんが、文脈から見るとGHQはわが国で共産主義が力を持つのを危惧して、それを中和させるために日本神道を再び助長するようになったということですね。
西洋人は、共産化した国に民主化の思想を拡げたり、愛国心の強すぎる国には共産主義やフェミニズムを拡げたり、共産主義思想が広まれば愛国心を強めるようにしたり、国民世論を思想や宗教でコントロールする発想が昔からあるような気がします。
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了することが決定しています。BLOGariの旧メインブログの「しばやんの日々」はその日以降はアクセスができなくなりますことをご承知おき下さい。

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