寺院が神社に変身した談山神社

事前にネットでこの神社を調べた際に十三重塔の写真を見て、「神社にこんな塔があるのは珍しいな」とは思ったが、その時はあまり深く考えなかった。
昨年来、明治時期の初期の歴史に興味を持つようになり、この、桜と紅葉の名所は廃仏毀釈までは多武峰(とおのみね)寺あるいは妙楽寺と呼ばれるお寺であったことを最近になって知った。
このお寺の歴史は古く、西暦678年に藤原鎌足の長男の僧定恵が、父の鎌足の墓をこの地に移して十三重塔を造立し、680年に講堂が創建され妙楽寺と号し、その後701年に本堂が建築され、平安時代になると藤原氏の繁栄とともに隆盛したが、天台宗に転じて叡山の末寺となってからは興福寺と争い、度々興福寺の焼き討ちにあったといわれる。
江戸時代には寺領3000石、42坊の堂宇が存在したそうだが、廃仏毀釈の時に寺院のまま存続するか神社として存続するかで意見が割れ、結局神社として存続することになり、談山神社と名前を変えて、多くの仏像・仏具・経典などがその時に二束三文で売却されたり棄却されたらしい。
談山神社の名前の由来は、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が蘇我氏を倒す談合をこの多武峰で行い、後世この場所を「談(かた)らい山」と呼んだことによるとされる。

寛永3年(1791年)に出版された「大和名所図会」に、江戸時代の妙楽寺の案内図が書かれており、これと最近の談山神社の案内図と見比べると面白い。妙楽寺の建物が、朱塗られたり一部改築されて神社の建物に使われているそうだ。

たとえば妙楽寺の聖霊院は神社の本殿に、護国院は拝殿に、講堂は神廟拝所に変わっている。十三重塔が、神廟十三重塔などと名前が変わっているのも面白い。
談山神社のように寺院が神社に変わったものは、探せばいくらでもあるようだ。以前、石清水八幡宮(京都)や鶴岡八幡宮(神奈川)の事を書いたが、有名なところでは宇佐八幡宮(福岡)、金毘羅大権現(香川)、大神山神社(鳥取)も廃仏毀釈の時に寺院が神社になったものである。
明治の廃仏毀釈は、日本全国の国家神道化をはかるクーデターのようなものだと最近思うのだが、神社のホームページを見ても寺院のホームページを見てもほとんどがこのことに触れられていないようだ。しかし、このことを知らずして、この時期になぜ多くの文化財が失われたかを理解することはできないと思う。
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22日に談山神社の旧常行堂で談山能という催しがあり、人間国宝の梅若実先生の景清の公演があるので参ります。それに先立ち、確かあそこはお寺だった気がするなぁ~?と検索したらやはり、しばやん様の記事へたどり着きました!
すごいなー、ほんとに、すごいなー、と改めて尊敬申し上げます。
談山神社での演能につきましては、摩多羅神面というオモテに始まるようでございます。神社所有というより、妙楽寺所有即ち、観阿弥、世阿弥の時代に話が遡るこの面自体の物体としての由緒は桃山時代まで下りますが、常行堂の後背に神面があるという面白さに興味津々です。
後席で神社の由緒等が拝聴できるそうなので、とても楽しみです♪
8年前に書いた記事まで読んで頂いて恐縮です。この頃は廃仏毀釈に関心を持ちながらも、どうやって調べればいいのか試行錯誤状態で、minagaさんの『がらくた置き場』という素晴らしいサイトを見つけてから、いろんなページを読み漁っていました。
能にせよ歌舞伎にせよ浄瑠璃にせよ、いずれも神仏習合の時代に生まれたのですから、ストーリーの中に仏が出てきてもおかしくないのですが、明治の初期に少し書き換えられたのかもしれませんね。
Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。
平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。
またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。
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