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文化財を守った法隆寺管主の英断

前回、明治の初期に奈良の大寺院が次々に廃寺となったことを書いた。江戸時代に石高の高かった8つの大寺院のうち3寺院が完全に破壊され、1寺院が神社になったのだが、残りの大寺院はどうだったのか。

現存している大寺院は興福寺、東大寺、法隆寺、吉野蔵王堂の4寺院であるが、この時期にいずれの寺院も存亡の危機にあったことは間違いない。

興福寺は以前も書いたが、廃仏毀釈時に僧侶全員が春日大社の神官となって明治5年には廃寺となり、明治14年に再び住職を置くことが認められるまでの9年間は無住の地となり、五重塔も売却されたが近隣住民の反対で焼却されずに済んだ経緯にある。

では他の大寺院はどうだったのか。今回は法隆寺の事を書こう。

法隆寺

岩波新書に関秀夫氏の「博物館の誕生」という本があり、その中に法隆寺の当時の状況を伺い知ることのできる記述がある。

「戒律の厳しい奈良の唐招提寺や聖徳太子ゆかりの法隆寺では、堂宇や仏像の破壊は免れたものの、経済基盤である寺領を取り上げられたために、僧侶たちの日常生活もままならない状態に陥り、古くから伝えられてきた貴重な古文書を、かまどの焚きつけに使ってしまうという情ないありさまであった。奈良市内の旧家には、そのころ、法隆寺や唐招提寺、海竜王寺などから、寺僧が持ち出して酒代のかわりに使った、寺印のある一切経の片割れが多数伝わっている。」(75p) 「…法隆寺の荒廃もひどかった。寺領を失い、廃仏毀釈で堂宇を荒らされ、雨でも降ればあちこちに水が漏り、明治五年に調査が入ったときには、目を覆いたくなるほどの状態であった。」(81p)

法隆寺もこのような状況が長く続けば、老朽化していた伽藍や堂宇を棄却するか、売却するかの選択を迫られていただろう。佐伯恵達氏の「廃仏毀釈百年」という本には、「法隆寺は、仏像・仏具を廃棄して、聖徳神社にされそうに」なったと書いてある。
しかし、法隆寺は明治11年、管主の千早定朝師の大英断によりこの経済的危機を乗り越えることになる。

以前紹介した朝田純一氏の「埃まみれの書棚から」というホームページが、本の紹介とともに、この頃の経緯を詳しく記述している。

明治4年に寺領上知の令で法隆寺の境内地が没収され、明治7年に法隆寺の寺禄千石が廃止・逓減されて、法隆寺の収入源がほとんど断たれてしまった。

そこで明治8年、塔頭寺院のほとんどを取り畳み、寺僧たちは西円堂御供所で合宿生活を送るなど、倹約に勤めたという。今のリストラである。

「こうしたなか、宝物の多くを売りに出す大和の古寺も少なくない有様であったが、法隆寺では、貴重な宝物類を皇室に献納し、末永く保存されることを願うこととしたのである。寺僧協議を重ねた末、何某かの下賜金あることを期待してのことであった。」 「明治11年献納の儀が決定、1万円が下賜され、当面の維持基金とすることができた。」

この1万円で、法隆寺は息を吹き返し、8千円で公債を購入し、金利600円を運営維持費に充て、2千円を伽藍諸堂の修理費に充てたそうである。

法隆寺宝物館

この時に皇室に献納した宝物は300点を超え、これが東京国立博物館の「法隆寺献納宝物」と言われるもので、現在は東京国立博物館の敷地内にある法隆寺宝物館でほとんどすべてを見ることができるそうだ。

200px-Prince_Shotoku.jpg

ただし有名な「聖徳太子および二王子像」「聖徳太子筆法華義疏」などは皇室ゆかりの品としてそのまま宮内庁に留め置かれたため見ることができないとのことである。

【ご参考】朝田純一氏の「埃まみれの書棚から」の関連ページ
http://www.bunkaken.net/index.files/raisan/shodana/shodana19.htm
http://www.bunkaken.net/index.files/raisan/shodana/shodana20.htm

今の日本人で聖徳太子について悪いイメージを持つ人はほとんどいないと思うのだが、廃仏毀釈を行った側の考えでは、聖徳太子は仏教を擁護し天皇を蔑にした人物として糾弾する考えが強かったようだ。
この献納と下賜金がなければ、法隆寺も他寺と同じく、多くの宝物、仏像などが流出売却、あるいは棄却・焼却された可能性が高かったのではないか。

千早定朝

当時の管主千早定朝の大英断により聖徳太子にかかわる宝物の多くを、一番安全な皇室に献納することによって、法隆寺は国民の文化財を守り、自らも寺院として存続できる道を開いたのである。

しかしながら、1994年にフランスのギメ美術館で法隆寺にあった勢至菩薩像が発見されている。戒律が厳しく、管主のリーダーシップで立ち直った法隆寺ですら、仏像が流出したのだから、あとの寺院は推して知るべしである。
<ギメ美術館で発見された法隆寺の仏像>
http://www.photo-make.co.jp/hm_2/ma_20_4.html
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Comment
月光像
こんにちは。
ギメ美術館へは何度も行ったことがあります。h帆法隆寺の、月光像、日光像と
いう二体一対の像があり、片方は法隆寺に、片方はギメ美術館にあるそうです。
日本びいきのシラク大統領が、一度里帰りさせて、日本でようやく
一対の展示があったと思います。
Re: 月光像
日本古代史ファンさん、コメントありがとうございます。

外国に行ったのは若い頃に一度きりなのですが、会社をリタイアしたら少しは巡ってみたいと考えています。

この勢至菩薩像は法隆寺金堂の阿弥陀三尊の脇侍金銅仏の一つだったようですが、誰がどうやって持ち出したのか。法隆寺ではいつ盗まれたかすら良く分かっていないようですね。
この菩薩像が平成6年に里帰りしたことが、次のURLでレポートされていましたが、また機会があれば観たくなるような美しい仏像ですね。
ギメ美術館
廃仏毀釈は、アジアでもあったようですね。
大きな石の仏様の首だけちょん切り、土の上にころがされている写真をどこかで見ました。カンボジアかインドネシアかインドか、どこの国でしたか忘れてしまいました。

右脇侍・勢至菩薩と身代わり像の白鳳時代の小金銅観音菩薩とは作者が違うのですね。
私の日光月光像は勘違いだったかもしれません。

ギメ美術館は、見て歩くのに7時間ほどかかります。日本館が別館としてあり、茶室もできたそうです。
浮世絵もありました。ガンダーラの仏像はちょっとスターリンに似ていました。アジアの美術を国内であまり見たことがなかったので、壮観でした。民族衣装、青銅の御物、陶器、家具、彫像、色々あります。地下のホールで、蒙古の楽器演奏会を聴きました。裏声のとても変わった男性のお経のような?音楽でした。
ギメ美術館のHPでもいくらかはご覧になれると思います。http://www.guimet.fr/fr/
http://www.guimet.fr/fr/collections
この駅には日本人会もあります。
パリをそぞろ歩いて、アフガニスタン辺りのスタンがつく国の民族衣装や木の食器を売る店がありました。赤い塗りのどんぶりが、日本の物によく似ていました。日本のように繊細でなく、大振りで木も分厚いのですが。もう行くこともないと思い、お店の名刺を捨ててしまったようです。
Re: ギメ美術館
コメントありがとうございます。

インドでも廃仏毀釈があったという話は初めて聞きました。情報ありがとうございます。
どんな歴史があるのか見当もつきませんが、イスラム教と関係があるのでしょうか。

ギメ美術館の日本やインド、中国、韓国の展示などを紹介いただいたページで見ましたが、結構いろんな時代の文化財を買い集めたようですね。それぞれの国に残っていれば、国宝級のものもある事でしょう。
日本の仏像は何所の寺にあったのかと思います。
ギメ美術館の仏像
お返事ありがとうございます。
象の上に乗られた仏像があったように思います。
木の仏像ですから、かなり傷んだものもあったように思います。どこのお寺由来かは、記録にないでしょうね。
岡山大助教授をされていた小林恵子(やすこ)氏の「聖徳太子の正体」「興亡古代史 東アジアの覇権争奪千年」で、聖徳太子は突厥族の大可汗(ハーン)だった、赤毛で緑目だったかも、聖徳太子の仏像の冠はアラビア模様に三日月がついていて、ゾロアスター教徒だったかも、ササン朝ペルシャ王室と婚姻関係にあったなど興味深いことを読後にギメやルーブル美術館のイスラムセクションに行きましたので、おもしろかったのです。
ルーブルで見た13世紀イランの食器は、日本酒の徳利や茶道の茶碗にそっくりで、絵も馬の絵など日本の屏風にそっくりと思いました。
正倉院展でもペルシャ伝来の宝物があり、それらの類まれな御物、コック、職人、家族、武人を連れてはるばるペルシャから亡命してきた貴人がいたのはありえるかもと思いました。顔を見ても、日本人の顔はモンゴル、中国、中東、ロシア系に似た方々がいらっしゃいますね。
Re: ギメ美術館の仏像
コメントありがとうございます。

聖徳太子は漢字文化圏にいた人物なのでペルシャ王朝との関係には疑問をかんじますが、13世紀のイランの食器が日本のものに近いというのは面白いですね。
漢字
お返事をありがとうございます。

法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像を作ったと言われる鞍作 止利は、トルコ人だと小林恵子氏が書かれていたと思います。トルコ語で意味がわかる人名があるとは、別の学者の方も言われていました。

李白という中国の詩人ですが、お酒の歌が多いですね。彼は金髪碧眼だったらしいということが英文の本に書かれていました。豪州の大学の図書館で読んだのですが、昔のことでタイトルなどは覚えていません。漢字の名前だからといって、いわゆるアジア系の容貌とは限らないのだな、とその時初めて知って、興味深く思いました。李白はおそらくロシア系の人だったのでしょう。

ヒジャブ・ブルカといった女性が顔を隠すスカーフのような装いも、日本でも貴人は顔を見せず、黒い布で顔を隠して歌舞伎を見ている身分の高い女性の絵を見たことがあり、ファッションとして海外から伝わったのか、興味があるところです。でも忍者も似たように布で顔を隠しますね。

血塗られた歴史の奥を知るのは重要ですが、文化や日本のルーツを知るのも興味深いです。
Re: 漢字
小林恵子氏の本は読んだことがないですが、ちょっと大胆な説を発表しておられるのですね。

文化的なルーツをたどれば遠くの国々に繋がるのでしょうが、文物は交易で文化圏の異なる遠い国に運ばれることはあっても、人間はそういうわけにはいきません。

鞍作止利は司馬達等の孫ですが、鞍作止利がトルコ人なら、司馬達等もトルコ人だということになりますが、何を根拠にそれが断言できるのか良く分かりません。文化的にトルコの影響が認められるから、人種はトルコ人だと結論付けているのでしょうか。

そうですね
お返事ありがとうございます。
恐れながら、中東やインド、トルコから日本に亡命してきた人々がいる、というのが小林恵子氏の主張です。例えば正倉院の御物は、王様レベルの方の所持品に見えます。交易として御物が渡来したのではなく、その持ち主と一緒に日本に来たように思えます。
小林恵子氏の読者は、熟年男性が多いのだそうです。井沢元彦氏との対談で言われていました。よろしかったら、お薦めいたします。
「本当は恐ろしい万葉集 壬申の乱編ー西域から来た皇女」祥伝社黄金文庫
はいかがでしょうか。勿論、小林氏のご意見にご反対でもよろしいのです。

それより、仁徳天皇陵を世界遺産にし、電飾して観光客を呼ぶ案が進んでいるそうで、こちらの方が心配です。
Re: そうですね
トルコから日本といえば、陸路にせよ海路にせよ1万キロ近く移動することになります。文物は交易で移動することはあっても、人間の場合は、当時の移動手段を考えると、そんな長距離の移動は考えにくいところです。亡命することが目的なら、日本に来るまでにいくつも落ち着く場所があったと思いますし、まして、言語も文字も通用しない場所に亡命することはないでしょう。

仁徳天皇陵は世界遺産の価値はあるかも知れませんが、観光客が数多く来るような場所ではなさそうな気がします。

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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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