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シーボルトはスパイであったのか

シーボルトがスパイであったというのが多数説になっているのだが、いろいろ調べていくとシーボルトは日本の開国を促すために、1844年にはオランダ国王ウィレム2世の親書を起草し、1853年にはアメリカのペリーに日本資料を提供して日本に軍事行動を起こさないことを要請し、1857年にはロシア皇帝ニコライ1世に招かれ、日露交渉のための書簡を起草しているという。
わが国が平和裏に開国できるために尽力するような人物がスパイだとしたら、いったいどこの国のスパイだというのだろうか。シーボルトはわが国で得た資料をもとに、大著『日本』のほか多くの著作により、世界に対してわが国のことを知らしめたという事実はどう理解すればよいのだろうか。

シーボルトにより複製された伊能図

シーボルトが文政11年(1828)に帰国する際に、オランダ船に積みこんだ荷物の中から、国外持ち出しを禁じられていた日本地図が発見され、この地図は幕府天文方高橋景保がシーボルトに贈ったことがわかり、関係者50人が捕えられて高橋が獄死し、シーボルトが国外追放の処分を受けた「シーボルト事件」があったのだが、この事件に関しては幕府の記録をそのまま鵜呑みにして良いのだろうか。

これまでの通説では、文政11年(1828)9月17日夜半から18日未明に西南地方を襲った台風で座礁したオランダ船コルネリス・ハウトマン号の中から、禁制品の地図などが見つかっていたことになっていたのだが、この話は後世の創作で、この船が台風で座礁したことは史実だが、その船にはシーボルトが収集した物は一切積み込まれていなかったことが今では明らかになっている。

西南学院大学国際文化論集第26巻第1号に「創られた『シーボルト事件』」という論文が掲載されており、ネットでも公開されている。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/nippon%20neo/10.pdf
その論文のp.78-79に、商館長メイランが記載した、この船に関する荷揚げや積み込みの実務的な記録が紹介されているが、積み込まれたものは9月2日にバラストとしての銅500ピコルのみで、台風の襲来した前日の16日まで何も積み込まれていないことが確認できる。

では、座礁した船の中のシーボルトが依頼した荷物から禁制品があらわれたということを最初に書いたのはだれかというと中島廣足という人物で、事件のあった5年後の天保4年(1833)年に刊行された『樺島浪風記』という書物にこう記しているという。

「こたびの大風は、まさしく神風なりと世にいひながせるはさる事ありたり、かの阿蘭陀船はこたびかへるべきときにて、其船乃中にわが国乃地図をはじめて外国にわたすことをいみじくいましめたまふ物どもを、たれか取つたへけむ、くさぐさつみいれ、ものしいたるを、此大風にあひて、船(*オランダ船)をふきあげられしかば、やがてこなたの司人(*役人)たちゆき見て、つみ入たる物どもとりおろし、とかくせらるゝついでに、さるものども(*禁制品)みなあらはれ出て、ことごとにおほやけにめしあげ、取をさめられぬ…
天保四年正月十五日橿園のあるじ(*中島廣足)、長崎のたびやどりにて、ふたゝび此よしをしるしぬ」(「創られた『シーボルト事件』」p.80所収)

この中島廣足は熊本藩士で、国学者でもあり歌人でもあるそうだが、この人物は実際に樺島付近でこの台風に遭遇し、長崎に帰りついたのち街中の被害を目の当たりにし、座礁したオランダ船も目撃した直後の記録も残しているという。

中島廣足の記録に書かれているのは、
「大浦乃方より見やれば、海かたづける家々はみなくづれて、ありしおもかげもなし、まづ近く見えたる阿蘭陀館、うみにのぞめる高楼なかばよりくづれおちたり…」(同上p.80) とあるだけで、座礁したオランダ船の積荷検査や禁制品発覚のことは何も書かれていないのである。

松浦静山

また、平戸藩9代藩主の松浦清(号は静山)が隠居した後に書き記した『甲子夜話続編』巻二十一に「シーボルト事件」の記事があるという。そこには文政11年(1828)11月15日付の長崎在住の人からもたらされた「風説」の内容が書かれていて、1つは高橋景保からシーボルトへ送った日本地図などを長崎奉行所で取り上げたことと、関係するオランダ通詞などが捕えられたこと、またシーボルトはロシア人であるという噂もあることが書かれている。
事件の初期の段階では、座礁した船から禁制品が出てきた話はなかったのだが、次第に噂話に尾ひれがついていき、中島廣足の著作などで広がっていったと考えれば良いのだろうか。私には中島廣足が平田篤胤の流れをくむ国学者であることがどうも気にかかるのだ。

当時のわが国の学問の世界では、蘭学者は少数派であり蘭学は異端視されていたと考えて良い。たとえば、シーボルト事件から11年後の天保10年(1839)に蘭学研究者が大弾圧される事件が起きている。世に言う「蛮社の獄」である。
モリソン号

この事件の起こる2年前の天保8年(1837)6月に江戸湾に現れたアメリカ商船モリソン号を、外国船打払令に基づいて浦賀奉行が砲撃を加えて追い払う事件があった。(モリソン号事件) この事件における幕府の対応や鎖国政策を批判した高野長英・渡辺崋山ら8名が捕えられて獄に繋がれたのだが、その後の判決で渡辺崋山は蟄居を命じられ天保12年(1841)10月に自刃。高野長英は永牢を命じられたが、弘化元年(1844)牢に放火して脱獄し逃亡し、嘉永3年(1850)に江戸にいるところを奉行所の捕吏らに急襲され、殺害されたという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%AE%E7%A4%BE%E3%81%AE%E7%8D%84

この事件の問題は、高野長英も渡辺崋山も無罪でありながら、罪をでっち上げられて捕えられている点にある。
この事件を調べていくと、鳥居耀蔵(とりいようぞう)という幕臣の名前が出てくる。鳥居の父は大学頭の儒者・林述斎であり、渡辺らを告発したのがこの人物で、告発状には渡辺らが海外に渡航することを企てていたと書かれていたという。

Wikipediaにはこう解説されている。
「鳥居の告発状をもとに大草が尋問したところ、海外渡航の企てなどはすべて事実無根…
5月22日に、奉行所で吟味が再開された。崋山の逮捕後鳥居がさらに提出した告発状に記された、大塩平八郎との通謀容疑・下級幕臣大塚同庵に不審の儀があることについても事実無根が明らかになっていたが、無罪の者を捕らえたとなっては幕府の沽券に関わるので、奉行所は糺明する容疑を海外渡航から幕政批判に切り替えた。崋山の書類の中から『慎機論』『西洋事情書』の二冊が取り出され、その中に幕政批判の言辞があることが問題とされた。崋山はそれらの文章が書き殴りの乱稿であり、そのような文字の片言隻句を取り出して断罪する非を言いつのったが、聞き入れられなかった。」
今風の表現をすれば明らかな「不当逮捕」であったのだ。

高野長英は『蛮社遭厄小記』という記録を残していて、その中で鳥居燿蔵の蘭学者攻撃と、蘭学関係者弾圧のためにこの事件が捏造されたことを述べている。読み下し文ではあるが次のURLで全文を読むことが出来る。
http://www.city.oshu.iwate.jp/syuzou01/book/bansha3.html

高野長英

鳥居燿蔵について高野長英はこう書いている。
「儒家ニ出身シテ文人ナル故蠻學ヲ嫌忌セラレケルニ
近來蠻學頗ル旺盛ニシテ上ハ公卿ヨリ下ハ庶人ニ至ル迄往々之ヲ賞揚シ
儒生トイヘドモ是ニ心醉スル者少カラナルヲ以テ常ニ不平ヲ懐カレケル」

要するに、鳥居は蘭学を忌み嫌い、この蘭学がわが国に拡がって行くことが許せなかったから、蘭学関係者の弾圧に踏み切ったのだと長英は考えたのだ。
また鳥居はその後も、阿片戦争ののちわが国も洋式の軍備を採用すべきであると幕府に上申した高島秋帆に謀反の罪をでっち上げて長崎で逮捕させている。

Wikipediaによると、鳥居耀蔵の日記や詩文を読むと「自分を退けて開国したことが幕府滅亡の原因であると考え、当時流行した洋風軍隊や民衆の軍事教練に批判的な目を向け」ていたという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85%E8%80%80%E8%94%B5#.E9.B3.A5.E5.B1.85.E8.80.80.E8.94.B5.E3.82.92.E6.89.B1.E3.81.A3.E3.81.9F.E5.8F.B2.E6.9B.B8

この鳥居耀蔵が暗躍した「蛮社の獄」はシーボルト事件から11年も後の話なのである。
また「シーボルト事件」の起きた頃も「蛮社の獄」が起きた時代も、文政8年(1825)年に発せられた異国船打払令が国是であった時代であり、当時の考えではわが国沿岸に接近した外国船は見つけ次第に砲撃し、上陸した外国人は逮捕することを命じられていたのだ。 その考え方の延長線上にあるのは、洋学に対してはそれを嫌悪し、洋学者が勢力を伸ばす芽を早い時期から摘みとろうとする姿勢であり、鳥居に限らず多くの幕臣たちはそのような考えにあったと考えるべきではないか。
江戸幕府が本格的な洋学研究の必要を痛感して「洋学所」を開設したのは、ペリー来航後の安政2年(1855)のことである。

シーボルト

シーボルトが鳴滝塾で洋学を教授していた時代には、外国人を忌み嫌い、洋学をも蔑視し洋学がわが国に拡がって行くことを快く思っていなかった鳥居耀蔵のような考えの役人が幕府内にもっと多数いたはずだから、シーボルトのような影響力の強い人物を目の敵にして、何が何でもシーボルトをわが国から排除し、二度とわが国の土を踏ませたくないと幕府が考えても、おかしくないようにも思えるのだ。とすると、国外追放とするために、シーボルトはスパイということにされた、ということもあり得る話だ。

最初に述べたとおり台風で座礁したオランダ船の荷物から御禁制の伊能忠敬の日本地図が出てきたという話は作り話であり、シーボルトがロシアのスパイだという話なども、当時の風聞をあたかも真実であるかのように書いた国学者の著作から広まって行ったものなのである。
そして現在も当時の風聞が真相のように語られることが多いのだが、本当にシーボルトがスパイであったなら、彼が日本滞在中に収集した標本などを大量に持ち帰ることが出来たことが不自然に思える。また前々回の記事で画像を紹介したが、シーボルトの大著『日本』には伊能忠敬の地図を複製した日本地図が堂々と載っている。さらに、江戸幕府はシーボルトを二度目の来日のあと幕府の外交問題の顧問として採用しているが、これもおかしな話である。

シーボルト事件については、当時の風聞とは異なる観点からの考察が必要な気がするのだが、この話を続けるとまた長くなるので、次回に書くこととしたい。

<つづく>
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Comment
シーボルト事件について
自分で常識と思っていたことが、実は
事実では無いかも知れないと気づかされると
足元に穴が開いたような気持ちになります。

しばやん様は、膨大な資料を読み解くお力もさる事ながら、
既成概念にとらわれず、冷静な視点で物事に向きあえるのが
素晴らしい!と毎回敬服しています。

シーボルト事件について、
子供の頃、紫陽花の学名に奥様の名前をあてるような人が
奥様の国を売るようなことをするのか、強く疑問に感じた
覚えがあります。

子供の頃は教科書を鵜呑みにしてしまうものですが、
成人した今は、一つの見方に偏らず物事を観るように
心掛けたいです
Re: シーボルト事件について
かめいとうさん、コメントありがとうございます。
とても励みになります。

私も学生時代は、時々疑問に思う事があっても、深く考えずに流してばかりでした。
今の時代は、ネットのおかげで、どの本に何が書かれているかは、検索を使うことで多くの事を知ることが可能です。
また、古い書物のテキストも、かなり読めるようになりました。疑問を感じた時は、ネットで色々調べると、いろんな人がいろんな説を唱えていることがわかります。

歴史の記述は、裁判と同じで、立場が違えば、主張することも
異なるのは当たり前なのだと思います。
おっしゃるように、いろんな視点で物事を見ることが必要ですね。


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Author:しばやん
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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