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ペリーの再来航と日米和親条約

ロシアのプチャーチンが長崎を去った八日後の安政元年一月十六日に、今度はペリーが再び浦賀に現れた。
ペリーは昨年六月に一年後の再来航を告げて江戸を去ったのだが、幕府にすれば、ペリーがこんなに早く来航することは想定していなかったはずだ

鳳凰丸
【鳳凰丸】

ところで幕府は、一年後にペリーが再来航することを前提に様々な準備をしていたようだ。
以前に記したように、老中阿部正弘は強硬な攘夷論者であった水戸齊昭を海防参与に据え、江戸湾警備を増強すべく品川沖に砲撃用の台場造営を命じ、水戸齊昭は江戸防備のために大砲74門を鋳造し弾薬と共に幕府に献上している。また大船建造の禁も解除され、各藩に軍艦の建造を奨励し、幕府自らも洋式帆船「鳳凰丸」の起工を行ったほか、オランダに艦船の発注も行っていた。
この程度の準備で「攘夷」が可能であったとはとても思えないのだが、幕府にすれば準備が整っていない段階でペリーが再来航したことになる。

徳富蘇峰は、『近世日本国民史. 第32』の中で、ペリーの『合衆国艦隊遠征記事』を引用して、彼の対日交渉方針についてこのように解説している。

「ペリー提督はロシア使節プチャーチンに比すれば、その覚悟もその態度も、すこぶる趣を異にした。露使は日本従来の法度に準拠して、言論の上にて、日本人を説伏するにあった。ペリー提督は、当初から恫喝と威嚇とによりて、日本人を恐怖せしめ、万一の際には——これは当初からの希望ではなかったが——武力に訴えるも、敢えて辞せざる覚悟であった
『彼の目的は日本政府に向かって、その日本海岸に漂着した米人を虐待したることについて、その釈明を求めるにあった。而して合衆国政府は、今後断じてこれを容赦しないことを宣言するにあった。少なくとも米国船のために、一両港を開くべく努め、而して能うべくんば正義、公平の基礎において、条約を締結し、もし一般的なものが出来なかったならば、せめて通商貿易の事だけにても実行すべきものを締結するにあった。その成否如何は、当初よりすこぶる不定であった。されど提督は断固として、その威力を以てこれを貫徹せんと期した。…
ただ提督はもし日本政府が、彼と協議するを否み、もしくは合衆国の商人もしくは捕鯨船に、港を開くを肯ぜざる際には、日本領土の一なる琉球をば、合衆国の国旗の下に占領すべく準備した。』(『合衆国艦隊遠征記事』)
…この覚悟と決心とは、ことごとに暴露せられ、それが自然に日本当局もしくは一般にも感応せられたものであろう。…ペリー来航の目的は、平和であったが、その手段は必ずしも平和ではなかった。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223901/38

ペリーは浦賀沖を通過して、金沢錨地に集結した。浦賀奉行は、艦隊の浦賀碇泊を交渉したのだが、ペリー艦隊はさらに湾内に進み、江戸市街を遠望できる羽田沖まで進んだという。慌てた幕府は、横浜で高官との会見を行うことに合意し、老中阿部正弘は大学頭林復斎、町奉行井戸覚弘らを応接委員に任命した。

ペリー提督横浜上陸
【ペリー提督横浜上陸】

第一回の会見が二月十日に行われ、幕府の応接委員はぬらりくらりと確答を与えず、将軍の代替わり等を理由にさらに返答を遅らせようとしたのだが、そんな手に乗るような相手ではなかった。
徳富蘇峰の前掲書の解説を続けよう。

合衆国提督口上書
【合衆国提督口上書】

「ペリー提督は委員らに向かって、日米の修好条約は支那と米国のそれの如くするを最も然るべしと言い、かつ曰く予は条約締結のために我が政府から派遣せられた。もし予にして成功せずんば、合衆国政府は、これを成功せしむべく、さらに多数の艦隊を派遣するであろう。されば予は万事友誼的に解決せんことを望む。さすれば予は現在の艦隊から二船を返して増発せしむるなからしむるよう取り計らうであろうと。かくて米清条約の写しの英文、漢文、オランダ文に認めたるものと、提督からの二通の書付、及び浦賀から応接委員長の与えたる書に答えたる一通とを手渡した。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223901/74

徳富蘇峰の前掲書にペリーが手渡した書類の全訳文が引用されているが、わが国の当局者は、ただ当面の延期一点張りで、このような条約を結ぶことの得失を考えるどころではなく、確たる方針も定まっていなかったようだ。

徳富蘇峰は当時の幕府の主要人物の考え方についてこう述べている。

水戸齊昭
【水戸齊昭】

「当時政府の至高顧問たる水戸齊昭の意見は如何。彼はなお打払いを主張したるか。否彼はもはやそれまでの決心はなかった。ただかつて彼に向かって筒井、川路らが嘉永六年六月ペリー来航の際、説きたる決答保留の意見に傾いていた。ただ即刻通信交易を許可することは大反対であった

思うに水戸一派は、あくまでも交易通信の二條反対を立て通し、是非ともその意見を貫徹する決心であったか。はた議論は議論として、自ずから天下志士の望みをつなぎつつ、已むをえざれば、幕吏の手にて、右の二條を允許(いんきょ:許可)するに一任するつもりであったか。…彼が通信交易に反対したるは、全くその本音に相違なきも、さりとていかなる手段をもてこれをきり留むべきかについては、全く成案はなかったようだ。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223901/89

阿部正弘
【阿部正弘】

では老中阿部正弘の考えはどうであったのか。
「当時閣老中の閣老ともいうべき阿部正弘は、内交家にして、外交家ではない。彼は終始一貫したる定見はなく、むしろただ事なかれ主義にて、無事に時局を了したきが、その念願であったらしく思われた。ただその腹の底を打ち割ってみれば、少なくとも当初は、開港主義者ではなかった。おそらくはその意見においては、水戸齊昭と大同小異の程度であったろう。ただ彼は当局者として、最も責任の中枢に立ったため、その意見通りのことを実行戦とすれば、平和に妨げありとして努めて曖昧模糊の態度を持したる傾向があった。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223901/91

この二人がこのような考えであれば、議論は平穏無事を願う方向に進んでいかざるを得ず、アメリカの圧力に屈して譲歩に向かっていくしかない。
城中では交易を許可しないとする意見が強かったのだが、二月十三日の二回目の談番で、応接委員はアメリカの要望に引きずられていったという。

ペリーとオランダ語を介しての交渉の様子
【ペリーとオランダ語を介しての交渉の様子】

二月十七日の会見では長崎を交易の窓口とするペリー提督に対する返書が手渡されたのだが、この時の交渉の様子を徳富蘇峰はこう記している。

提督は長崎以外に、松前及び琉球の開港を促し、即時でなければ六十日以内に開港すべしと主張した。日本委員は長崎は外人のために開いたる場所にて、その住民も役人も、対外の事情に通じている。かつ仮に合衆国のために、他港を開くとしても、長崎同様の準備をするには、今後5年の歳月を要すとて、固く執(と)って下らなかった。
提督は長崎が開港場というよりもむしろ外人のために、特殊の用途に当てられたる事実を挙げ、その住民及び役人は、久しき間、オランダ人の卑屈に慣れ、これを当たり前のこととしているから、アメリカ人と接触するにおいては、不慮の事を来たすの虞(おそれ)あるを語り、さらに従来日本人が外国人に加えたる圧制的の法律は、わが米国人の耐えるところにあらざるを説き、自分は決して長崎を一の開港場と認めない所以を切言した。而して提督は米国のために新たに五港を開かんことを要望し、まず、差し当たり、本土の浦賀か、鹿児島の内一港と、蝦夷の松前と、琉球の那覇の三港を開かんことを提議した
かくておいおいと押し問答をなし、提督は極力長崎を拒絶し、日本委員はまた浦賀に反対し、その代わりに下田港を正式に提出するに至った。而して日本委員は琉球は日本の外藩であるから、何ら商議に及び難い、松前もまた大名の所領にて同一関係であると反対した。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223901/111

こんな具合に、日本委員が反論するたびにペリーの要求は次第に大きくなり、結局日本委員はペリーの要求のいくつかを飲まざるを得なくなるという状況に引きずり込まれていくのである。
かくして、下田と箱館の2港の開港が決定したのだが、もし日本委員の中に、ロシアとの交渉で一歩も引かなかった川路聖謨(としあきら)がいたとしても、恫喝・威嚇を繰り返すペリー相手では、結果はそれほど変わらなかったかもしれない。

安政元年(1854)ペリー提督黒船陸戦隊調練の図
【安政元年ペリー提督黒船陸戦隊調練の図】

徳富蘇峰は日米の会見についてこう解説している。
彼(ペリー)は戦争をも辞せずと言い、我(幕府)は戦争はご免を被ると言う。その双方の意気込みは、当初から全くかくの如く相違していた。従ってその談判が、ことごとに彼の意見を通さねばならぬ始末となったのは、決して怪しむべきではない。むしろ穏便を主としつつ、なお幾分にても、此方の申し分を保留せしめたことを多とせねばなるまい。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223901/136

日米和親条約
日米和親条約

次のURLに、三月三日に江戸幕府とアメリカ合衆国が調印した日米和親条約(神奈川条約)の原文のテキストと口語訳が出ている。
原文  www.ndl.go.jp/modern/img_t/002/002-003tx.html
口語訳 http://www.tomoland.net/nagamimi/nagamimi/treaties-perry.html

内容は大雑把なものではあるが、幕府がこれまでの鎖国制度を打ち破ったことには相違なく、わが国はアメリカと和親条約を結んだことでロシアとも同様の条約を結ばざるを得なくなり、いずれ英仏その他の列強とも門戸を開放することになることは当然のことである。

この時期に列強と結んだ条約が明治になってから問題となるのだが、日米和親条約に関して言うと、領事裁判権に関する条項は存在しない。ただ、片務的最恵国待遇に関する定めが第9条にさりげなく記されているだけだ。

「第9条:日本政府、外国人え、当節亜墨利加人え不差免候廉相免し候節は、亜墨利加人えも同様差免し可申、右に付談判猶予不致候事。
(将来、日本が米国以外の外国に対し、米国に対して認めていない権利、利益を認めた場合、交渉を経ず、直ちに米国にもこれを認めるものとする。)」

わが国にとっては最初に外国と締結した条約なので幕府もあまり深く考えなかったのだろうが、この条項を各国と結ぶ条約に入れたために、後に明治政府は条約改正で大変な苦労をすることとなるのである。

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【ご参考】
この時期に欧米列強と締結した条約は明治時代に様々な問題を引き起こしました。教科書などではあまり詳しく触れられていませんが、明治期に書かれた記録などを読むと、不平等条約問題で世論が沸騰した背景がよくわかります。

英商人に阿片を持込まれ、コレラ流行時に港で外国船の検疫を拒否された明治日本
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-303.html

英国船が沈没して白人が助かり、日本人乗客は全員溺死したノルマントン号事件
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-304.html

条約改正が成功する寸前で大隈重信の脚を引っ張ったのは誰か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-305.html

陸奥宗光が条約改正を一部実現させた経緯について
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-306.html


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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

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